make the style. オレンジランプのブログ

私、オレンジランプが自由気ままに過ごす日常。大好きなもの作り。料理。家具製作。猫。アウトドア。子育て論。などなど、気ままに発信していきます。

幼き日の思い出。

盆休みも終わり実家に集まった家族もそれぞれの生活拠点へと戻っていく。また、来年元気で会えますように。

 

子供の頃の思い出

 

 本日、8月16日は私の母の命日です。数年前にお盆に迎えに来るという船にぎりぎり間に合ったんだなと家族で話したりしてたのが遥か遠い記憶のような気がします。私の母は4年前に肝臓がんでこの世を去りました。

 

享年69歳

 

私たち家族にはあまりにも早すぎる別れでした。人は悲しみを早く忘れられるように出来ていると言いますが、そうなのかも知れません。というか、まだ、受け入れていないような気さえします。

 

実家に帰ると食事を作る当番は何故か私の役目になります。離れて暮らす父親を喜ばせようという気持ちなのか、日頃の恩義を感じて七日は自分でも分かりませんが食事時になると自然にキッチンへと足が向かいます。

 

今回のお盆休みもそうでした。私の母はとても料理が上手で家族の誰もが母の味を大好きでした。私もお盆の時期に帰省すれば、母の味を追いつき追い越せといつも張り切ります。

 

その時も何故か母の分まで作ってしまう事がよくあります。そんな時は、まだ、母が居なくなったことを受け入れていないのかなと思います。

 

私の母の大好物は『ちゃんぽん』でした。

 

私と姉たちがもうすぐ母の命日だから弔いにちゃんぽんを作ろうなどと話していた時にいつも頭をよぎる幼い時の思い出があります。

 

それは、姉が小学校4年生と2年生。私が小学校1年生の時でした。私にとっては初めての終業式の日。熊本では7月24日前後になるでしょうか。その日は普段教室に置いてある私物を全て自宅に持って帰らないといけない日でもありました。一気に持って帰るのは大変だという事で事前に少しずつ持って帰るように指導はされている筈ですが、のんびり屋の私は、この日にまとめて持って帰る事になります。

 

自業自得です。

 

とはいえ私は幼い小学校一年生。持てる荷物にも限度があります。でも、この日は習字道具、絵具、画板、鍵盤ハーモニカ、朝顔の鉢など持ちをながら背中には当然ランドセルを背負っています。

 

学校から出てから数分で一緒に帰る姉に泣きつくこととなります。

 

『姉ちゃん、重い持って~』半べそで言います。

 

『あんたが分けて持って帰らないからよ!』姉はこの頃から私とは違って計画的に行動するタイプの人間でした。

 

そう言いながらも私の荷物を少しだけ持ってくれました。姉が荷物を手分けして持ってくれたとはいえ、私たち姉弟の家は学校から3km以上は離れた場所にありました。学校は山の上にあり、私たちの家も山の上にありました。反対側のですが・・・。

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そうなんです。今では考えられないくらいの距離を私たちは徒歩で通っていたのでした。今の時代ならスクールバスや公共の交通機関がありそうなものですが当時はありませんでした。雨が降ろうと雪が降ろうと徒歩でした。

 

当然、街灯などもありません。

 

冬場になると、日も早く落ちてしまうので真っ暗な山道をトボトボと歩いていくのです。途中狸に出会ったり、山鳩の鳴き声に恐怖を覚えたものです。

 

幸いこの日は夏ですし、午前中に下校しているのでそう言った恐怖は皆無なのですが、とにかく重い、辛い、暑い。

 

私は泣いてしまいました。代わる代わる姉たちは私の荷物を持ってはくれますが、それでも私の荷物は余りにも多すぎます。

 

そんな時に私が言いました。

 

『お母さん、迎えに来てくれたらなぁ~。』

 

すると真ん中の姉が言いました。

 

『じゃあ、好きなものを大きな声で言えば来るんじゃない。』

 

一番上の姉が言います。

 

『じゃあ、ちゃんぽんだね。』

 

私たち3人は大きくうなずいてニコッと笑ってありったけの大きな声で叫びました。

 

『ちゃんぽん!ちゃんぽん!ちゃんぽん!』と・・・。

 

私たちが叫んだ場所は、長い直線道路の端っこでした。叫んだ後に来る訳ないやと言いかけたその時でした。

 

遥か彼方に見覚えのある車が!

 

銀色に輝くあの車は間違いなく私たちの母親の車でした。

 

最初は半信半疑だった私たちもドンドンと近づいてくる母の車に大興奮です。

 

『ほんとに来た~!』

 

間違いありません。銀色に輝く車に私たちの救世主となる母が颯爽とハンドルを握って向かってくれています。

 

『わわわっわあわ~』

 

私たち3人は大絶叫しながら母を迎えました。

 

私たちの所に到着した母は、きょとんとしながら『何をそんなに騒いでるの?』と言いました。私は興奮しながら『お母さん、お母さん、ちゃんぽんて聞こえた?』と訊きました。母は、何を言っているのという風な顔で私を見ました。

 

そのやり取りを見ていた姉が母に説明すると『聞こえたかもしれない』と母は言って、にやりと笑いました。

 

あれから、40年近くの月日が流れ、私たちも大人になり、それぞれの子供も私たちのその時よりも大きくなりました。毎年この時期になるとあの日の事を思い出し、話しては、大いに盛り上がります。

 

あの日以降、何度呼んでも母が迎えに来てくれることはありませんでしたが、私たち姉弟にとっては今でも忘れられないエピソードとなっています。

 

だから、命日のこの日には各家庭で決まって食べます。

 

母が大好きな『ちゃんぽん』を。

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最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

もっと広まってヘルプマーク。

最近、Twitter等で目にするようになった『ヘルプマーク』。皆さんご存知ですか?今回はこのヘルプマークについて書いて行きたいと思います。

 

こういう事こそ拡散希望

 

  私はガン患者になるまで多くの事に無知でした。特に福祉や医療については、まるで自分には関係無いと言う風な感じだったのかもしれません。

 

しかし、自分自身がガン患者となった今では、そう言ったことに自然と目や耳が行くようになって関心を持つようになりました。

 

配慮。

 

この言葉を私はガン患者になる前から常に気にしてきました。でも、入院患者となった時に、そうじゃなかった時の自分がいかに配慮にかけてた人間だったのかを思い知らされる日々の連続だったのです。

 

配慮。

 

私の認識では、そこに居る人、そこに在るものに心をもって行動する事を『配慮』だと思って生きてきました。

 

今まで、私の目の前に高齢者や小さな子供、体が不自由な人が居れば積極的に声をかけて必要であれば手助けをする。高齢者じゃなくても困って居る人や困る可能性があるのならそれを見越しての行動を心掛けてきました。

 

でも、自分が、がんの治療のために入院患者となってからは、あまりの周りの人達の配慮の無さに驚きました。

 

そして、驚くと同時に以前の自分自身を振り返ってみて恥ずかしくもなりました。

 

例えば、病院の廊下で私よりも健康そうな人が私目掛けて歩いて来たり、エレベーターの乗り降りでぶつかりそうになった事も一度や二度ではありませんでした。

 

抗がん剤治療の影響で体力、筋力も衰えて尚且つ、抗がん剤の副作用で貧血でフラフラの私目掛けて歩いて来る人。その人は悪気があるわけではなく、いつも通りに空いてるスペースをいつも通りに歩いているのでしょうし、私の目の前で方向転換をするかもしれません。

 

でも、それは私には分かりません。ぶつかりそうになってとっさに私が避けて転びそうになったこともありました。

 

体が健康なときは事前に予測して避けたり進路変更したりして歩いていたんでしょうが抗がん剤治療中はそうもいきませんでした。

 

だから私はいつもビクビクしながら病院の廊下を歩いていました。

 

患者と云う身体的、体力的に弱い立場ながら自分の身は自分で守らないといけませんでした。

 

ぶつかりそうになる度に危ないな~。(でも、自分も病院の廊下などで患者に配慮して歩いていたのか?)と考えたら答えは『NO』でした。

 

考えていませんでした。

 

明らかに歩みが遅い人や目に見えて体力が弱ってる人には配慮をして来ましたが若くて見た目が元気そうだと思う人には配慮をしてませんでした。

 

恥ずかしい限りですね。

 

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そんな時にTwitterで知ったのが冒頭の『ヘルプマーク』なんです。

 

ヘルプマークとは義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

東京都福祉保険局HPより抜粋

 

調べてみたところ東京都が平成24年から始めた事らしいです。

 

一都道府県が始めたという事は全国展開してないのではないかということでもっと調べてみると、ちょっと驚きの事実が。

 

なんとこのヘルプマーク日本全国でも実施しているのは、ほんの僅かの都道府県だけだったのです。

 

実施している都道府県は東京都と京都府・和歌山県・徳島県・青森県・奈良県・神奈川県・滋賀県・大阪府と9都府県のみ。(平成29年6月現在)

 

と非常に残念な状態です。私が住む熊本県でも実施はされていませんでした。(企業が取り組んでるケースはあります。)

 

『ヘルプマーク』の存在を初めて知った時に当然、熊本でも実施されているものだと思っていたので、

 

本当に残念です。

 

ヘルプマークという目印が無くても人其々が配慮をすれば良いのかもしれませんが視認性があって、言葉を発さなくても周りから配慮をされるというのは力強いし、安心できるかもしれません。

 

『私はガン患者で元気そうに見えますが体力はありません。だから皆さん私に配慮をお願いします。』

 

とは言えませんもん。だから、ヘルプマークの存在も配慮を必要として居る人が思った以上に多く存在することを多くの人に理解して欲しいと切に願います。

 

配慮というのは人其々かも知れませんがヘルプマークを持っている人、身につけて居る人は介助や手助けを必要としているかもしれません。

 

だから、そのヘルプマークを持っている人の立場になって心のある行動を心がけて欲しいと思います。

 

私が住む熊本県では、まだ、実施されていませんが私の心にはヘルプマークが無くとも今まで以上に周りに配慮をしながら行動して行きたいと思います。

 

先ずは知ることから始めよう。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆休みの私のお役目。

お盆休み。我が家でも毎年この時期は家族が皆、実家に集まり食卓を囲みます。今年もそんな時期がやってきました。

 

勝手が違うといつも以上に大変。

 

今回はお盆休み中の家族の一コマを書いていきます。

 

ここ最近の我が家の料理は病気療養中の私が主に作っています。特に何の不自由もなく楽しく作りたいものを作り食べたいものを食べています。でも、これが実家での調理となると勝手が違います。

 

それはなぜか・・・。

 

調味料のありか、鍋、お玉、ラップなどの調理機材のありかなど、ありとあらゆる勝手が違うからです。

 

これは本当に悩ましいところです。

 

実家に人が集まるという事は、料理の量はいつもの倍以上。包丁も違えば鍋も調理をするガス台の火力も違います。

 

いつもの慣れた環境とは勝手が違います。

 

当然、材料も作る料理の量も大量です。だから、その材料を無駄に出来ないという思いで必死です。しかも、昔からお盆の時期に家族が実家に集まって食べてた料理は料理上手だった亡き母の味。私もそのうちの一人なのですが、今は私が作る係。だから、家族が集まって期待する気持ちを裏切れないとの思いで毎回必死です。

 

母の料理の中でも特に茶碗蒸しは近所でも評判の味でした。でも、その味が当たり前の味でしたので他の茶碗蒸しを食べるまでは母の茶碗蒸しが特別なものだとは気付きませんでした。

 

母が亡くなった後に実家に家族が集まり、茶碗蒸しを食べながら皆が口々に言うのです。

 

『お母さんの茶碗蒸しの方が美味しかった。』と。

 

母が亡くなった今、茶碗蒸しを作るのは私の役目。だから、この一言が悔しくて悔しくて。こんな事になるとは思っていなかったので母の茶碗蒸しのレシピを訊いていませんでした。今でも生前に訊いておくもんだったと後悔先に立たずです。

 

今年もそんな思いで茶碗蒸しを作りました。

 

私は母の料理のレシピを一つも知りません。

 

なぜ、料理上手だった母に料理の作り方を訊かなかったか?

 

その理由の一つは、母は料理をいつも適当に作っていると思っていたからです。でも、今思えば、全く適当じゃなかったんですよね。人数が多くても少なくても適当に入れていたという材料も調味料も母の頭の中では計算されていて、夏場や冬場では塩分の量も違っていたのだと思います。

 

何でそう言う事に気付かなかったのだろう?

 

毎回、毎回、実家で料理を作るたびにそう思います。どっかにレシピ帳が置いてあったりするのじゃないかと思ったこともありましたけど、母はそんな几帳面な性格じゃなかったので、そんなものあるはずもありません。

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そんなこんなで出来上がった今年の茶碗蒸し。見た目的には、も出来てないし、表面もつるつるの良い感じです。

 

私は期待を胸に家族の反応を待ちました。

 

娘は一番初めに茶碗蒸しを食べて『パパの茶碗蒸し、いつも通りで美味しいよ』

 

と言ってくれていますが姉も父も伯父もいとこも中々、茶碗蒸しを食べてくれません。ドキドキして待っていると父が一言

 

『これはお前が作ったの?』と

 

『そうだよ。』と私が答えると、

 

『ふ~ん。美味しいね。』と言ってくれました。

 

母亡き後、父は茶碗蒸しを他所では食べなくなりました。父が言うには『他所で食べてもお母さんの茶碗蒸し以上に美味しいものはない。』だからだそうです。

 

父は昭和の男です。

 

母の料理を面と向かって美味しいと母に伝えた事はないような気がします。いつも黙々と食べては、茶碗や湯呑を掲げて、お替りを催促するような男です。

 

でも、母亡き後は『お母さんのあの料理は美味しかった。』と頻繁に言います。

 

その度に私は『なぜその一言を生きている時に言ってあげなかったの』と言いますが、父は苦笑をするだけです。

 

だから、私は自分が食べておいしいと思った時や嬉しかった時には素直に感謝の気持ちを相手に直接伝えるようにしています。

 

反面教師ですね。

 

だから、娘も私と一緒で美味しいものは素直に美味しいと言ってくれます。

 

こちらは、子は親の鏡と言ったところでしょうか。

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なんだかんだで、今年もみんなで楽しく料理を囲んで食事をすることが出来ました。みんな口々に美味しい美味しいと言ってくれたので頑張った甲斐もあり嬉しかったですね。

 

天国の母も、私の茶碗蒸しを褒めてくれるかなぁ。

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

娘と過ごす初めての夏休み。~初めてのマフィン作り~

2017年の娘の夏休みは私が自宅療養中という事もあり、初めて多くの時間を二人で過ごす時間となりそうだ。

 

この長期休みの間に何が出来るだろうか?

 

こんな事はめったにないので彼女の興味があることをどんどん一緒にやりたいと思う。と言ううわけでこの日は一緒に朝からお菓子作りをすることになった。

 

娘は保育園の頃に『ケーキ屋さんになりたい』と言っていた。でも、今はなりたくないと言う。理由を訊いても言わない。でも、甘いものと料理を作る事には興味があるようなので、この日は一緒に何か作ろうと私から声をかけてお菓子作りを始めた。

 

この日は、そこにたまたま、完熟バナナがあったから。

 

今回作るお菓子は『バナナマフィン』

 

理由は、私が好きな事と完熟のバナナがテーブルの上に放置してあったから。でも、娘には何が出来るかは言わなかった。娘は、おそらく食べたことが無いので、言っても分からないだろうし、作る工程で何をどうしたら、どういう風に出来るから知って欲しかったからだ。

 

では作っていきま~す。

 

材料

 

薄力粉・・・200g

ベーキングパウダー・・・5g

砂糖・・・50g

完熟バナナ・・・2本

牛乳・・・大さじ1

バター・・・50g

バニラエッセンス・・・数滴

マフィンの型・・・12~16個

 

※予めオーブンを180℃で予熱しておく。玉子は常温にしておく。

 

①薄力粉とバーキングパウダーを粉ふるいで振る。なければビニール袋に入れて、よく混ぜ合わせる。

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②バナナをフォークなどでつぶす。

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③バターをあらかじめ溶かしておいて、砂糖と混ぜ合わせる。

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④③の中に玉子を混ぜ合わせる。少しカスタードのようになるまで。

⑤④にバナナを混ぜ合わせる。牛乳を入れる。バニラエッセンスを数滴加える。

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⑥⑤に①を3回くらいに分けて混ぜ合わせる。ぼてっていう感じになります。

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⑦スプーンなどで形の中に⑥を分けて入れていく。

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⑧170℃のオーブンで20分焼く

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出来上がり。

 

今回は、完熟のバナナがあったという事と私がバナナマフィンが好きと言う理由で娘とマフィン作りを行いました。オーブンで焼いている間も何度も気になって見に行く娘の姿がとても愛おしく思え、とても貴重な経験になりました。

 

出来栄えの方も初めてマフィンを作ったのですが、まずまずと言った出来で、娘も一人でいくつもと食べてました。こんなに楽しそうに美味しそうに食べてくれるのであればもっと早く一緒にお菓子作りをやっていれば良かったなって思いました。

 

夏休みもまだまだ、序盤です。今後も色んなもの作りの楽しさを二人だ味わって、達成感の喜びを伝えていけたらなって思いました。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラゴンクエスト発売に思ふ。

『ドラゴンクエスト』最初にこのゲームタイトルを持つソフトを手にしたのは小学校の高学年の時だった。あれから30年ちょっと。最新作の『ドラゴンクエストⅪ』が発売された。

 

最初は人気なかった記憶。

 

2017年7月29日土曜日。今日は何の日?アマチュア無線の日。白だしの日。福神漬けの日。だそうです。でも、本日書きたいのは、そうですあの人気ゲームソフト『ドラゴンクエストXI』の発売日です。

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私も年甲斐もなく何年振りかに発売当日にゲームソフトを買いました。

 

シリーズ第一作目の『ドラゴンクエスト』が発売されたのは1986年(昭和61年)の5月27日という事ですから今から31年前になります。

 

今では社会現象にまでなっている『ドラゴンクエスト』ぴったりファミコン世代の私の最初の印象は地味なゲーム。でした。ファミコンと言うのはみんなでワイワイやって遊ぶものって感じでしたので、一人で何時間も遊ぶドラクエ(ドラゴンクエストの略称)は私の友達の中でもあまり人気がありませんでした。

 

そのころ人気があったのは、スーパーマリオブラザーズ、ツインビー、スターソルジャー、グーニーズ、ソロモンの鍵、ファミスタ、頑張れゴエモン、スカイキッド、グラディウス、ハイドライドなどでした。

 

私と同世代の方ならば、このラインナップを見ていただければ、この1986年がどれほどの良作に恵まれていた年か分かると思います。

 

30年以上前に、そのシリーズ第一弾が出て現在もそのシリーズが続いてるタイトルっていくつぐらいあるんでしょうか?私は専門家ではないので思い当たるのは、スーパーマリオブラザーズ、魔界村、ボンバーマン、ファイナルファンタジーくらいです。もちろん、もっとあると思いますけど、消えていったソフトの方が遥かに多いです。

 

ファミコンのゲームって、今のゲームに比べればその殆どが、今ではつまらないと言われるゲーでしたから。

 

でも、私たちファミコン世代の人間は、そのつまらないゲームと呼ばれるゲームを自分たちなりに解釈して楽しんでいました。今でいう縛りプレイです。

 

〇〇を使ったらいけないとか、敵を一匹も倒したら駄目だとか、そんな遊び方をしていました。

 

ゲームの楽しみ方も人それぞれでした。当時のゲームは、今みたいに必ずしもエンディングというものが無くてクリアしても只々、敵が速くなったり強くなったりしての無限ループというものが多くありました。

 

しかも、そのゲームの難易度は今のゲームに比べれば格段に難しかったと思います。なにせ説明が殆どなされないままに死んだりとか勝手に物語が進んでしまいますからね。

 

当時はインターネットで調べるという事も出来ませんでしたし、雑誌にゲームの情報がのるのなんて、ずっと後でしたので自分たちでどうにかするしかなかったんですよね。

 

だから、学校で謎解きの答えを知ってたらヒーローに成れたり、多くの嘘も生みました。

 

その点、このドラゴンクエストはゲームの中に出てくる文字を読めば、何となくゲームの進め方を教えてくれるので親切な印象がありました。この頃のゲームには珍しくエンディングもありましたしね。

 

最初は印象があまり良くなかったドラクエも家に帰って一人でやってみると、、、

 

 

 

『おもしれ~!!!』

 

になりました。そうなんです。面白かったんですよ。シナリオも良かったですし、そのゲームデザインも素晴らしかったと思います。今思えば、面倒なコマンドが多いのも事実ですが当時はすべてが斬新でした。

 

私がそうやってドラクエにハマると時を同じくして、世間も少しずつドラクエ旋風が起き始めました。ドラクエⅡが発売されると発売日に列ができ、Ⅲが発売されるときには学校や会社をさぼって買いに行くという事がニュースにもなりました。私も学校をさぼって買いに行きました。

 

私がドラクエの中で一番印象に残っているのは、このⅢです。

 

当時の私は中学生。お金が無くて、当時1本5800円か5900円だったドラクエⅢを一人で買う事が出来ませんでした。だから、仲の良い友達とお金を出し合って買ったことを覚えています。

 

今では、ゲームを途中で止める時もそのデータを保存出来ることが当たり前ですけど、当時は、復活の呪文と言って、止める時に表示されるパスワードを自分で紙か何かに書き留めて次回のゲーム開始時に手入力をしなければいけませんでした。

 

この復活の呪文のせいで、親子げんかになったり、兄弟げんかになったり、自分の字の汚さを嘆いた人は少なくないと思います。

 

私もそうでした。

 

何時間もゲームを進めて成長させた主人公の大事なデータのパスワードを書いた紙を無くしたり、親に捨てられたりもしました。しかも、一文字でも文字が違っても当然、そのデータは使えません。

 

それを救ってくれるのがドラクエⅢから登場したバックアップメモリーでした。今までとは違って、ゲームソフト本体の冒険の書というものに3つまでデータを保存することが出来るようになったんです。

 

これで、あの復活の呪文の呪いから解放される・・・。

 

多くの勇者が喜んだ!

 

筈でした・・・。

 

でも、結果は多くのそうした勇者たちの期待を裏切り、電源を入れたとたん

 

『デレデレデレデレデーーレ🎵』という悪魔のメロディと

 

『おきのどくですが ぼうけんのしょ 1ばんは きえてしまいました。』という悪魔のメッセージに新たな呪縛をかけられてしまうのでした。

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私もこの呪縛に何度も苦しめられました。ゲームの中の敵よりも母が勝手に電源を切る攻撃、猫がリセットボタンを踏んでいく攻撃、色んな攻撃に耐えに耐えて成長させた記録がゲームソフトの脆弱なバックアップシステムによって一瞬で消え去るのでした。

 

上にも書きましたが私は友達3人とドラクエⅢを買っており、1週間交代でやっていたので帰ってくる度にデータが消えているという事が何度もありました。

 

私のデータが消えてその場所に友達のお兄ちゃんのデータが入ってた時もありましたが(苦笑)

 

あれから、30年以上が経ちました。一緒にドラゴンクエストⅢを買って、それぞれ、ぼうけんのしょ1、ぼうけんのしょ2、ぼうけんのしょ3とそれぞれのデータをドラクエⅢに保存した仲間も現在、生き残っているのは私だけになってしまいました。

 

一人は以前のこのブログでも書いた友達で高校一年生で亡くなり、もう一人も25歳くらいの時に亡くなってしまいました。

 

悲しい事ですが、子供の頃にドラクエをやりながらよく話していたんです。

 

『絶対死ぬまで、大人になってもドラクエはやり続けようね』って。

 

そう誓い合ったのでした。あれから、30年ほどが経ちその約束を守れるのもドラクエの楽しさを感じれるのは私だけになってしまいました。

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私もドラクエいくつまで出来るかは分かりませんが、いつの日か、あのぼうけんのしょ1、ぼうけんのしょ2、ぼうけんのしょ3の3人が揃って語明かす時には私が他の二人に二人がやった以降のドラクエの話をしてあげなければいけないと思います。

 

この年になってゲームをやるのも大変ですが、二人の分も楽しんで出来たら良いなと思っています。

 

待ってろ!!!魔物どもよ。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

夏祭りの思いで。~私の大事なお客様~

夏と言えば、夏休み、花火、ラジオ体操、へちま、蝉の声と色々ありますが皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?!今回は私の忘れられない夏の思い出の一つを紹介します。

 

忘れられない夏の思い出。

 

今日の晩御飯はお好み焼きを作りました。今、夏休み中の子供と昼間に夏祭りの話をしていて一緒に屋台の動画などを見ていたら無性にお好み焼きが食べたくなったからです。

 

お好み焼きを焼いていたら、ふと思い出したことがありました。今回はそれを書いていきたいと思います。

 

私はこの時期になると思いだす『お祭り』があります。お祭りと言っても市や町が開催するような大きなお祭りではなくて、とある保育園で行われていた、そこの園児とその保護者向けの夏祭りです。

 

私の子供が通っている保育園ではなかったのですが、知り合いが居たこともあり私はこの保育園で夏祭りの時の屋台のボランティアをしていました。開催されるのが夏休みの時期という事もあって毎年、子供たちと近所の大人たちで大盛況のお祭りでした。

 

頼まれても無いのに、お節介な性格の私はこういう屋台を出したら喜ばれるんじゃないですかと先生たちに提案をして、保護者の説明会にも顔を出して保護者からの了解も得ました。

 

私が提案した屋台は手作りピザ屋さんでした。生地から作って、2切れで150円でした。素材の味を手作りのおいしいピザを食べてもらいたいという思いから提案をしました。

 

しかし、その150円という値段に最初は批判的な保護者や保育士さんも居ましたが食べていただいたら喜んでいただけて了解を得る事が出来ました

 

夏祭り開催の数日前から仕事が終わって真夜中まで値段とイラストが入ったポップを作ったり屋台のレイアウトを作ったりとひとりで準備をしました。喜んでもらいたい。絶対に失敗は出来ないという思いで。

 

⇩こんな感じのポップを作ったような気がします。

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もう一度言います。これは、ボランティアです。

 

報酬は他の屋台の焼きそばでした。

 

そしてドキドキの保育園主催の夏祭りの日。私は2時間ほど前に足を運んで自分の屋台の準備を終えると他の準備も手伝いました。テントの設営やお化け屋敷の準備など。そして、17時になり、いよいよお祭りが始まりました。

 

しかし・・・。

 

私の屋台には全く、お客さんが来ません。

 

遠巻きに見学者は居るのですが私の屋台の前には誰も来てくれませんでした。

10分が過ぎ20分過ぎても誰も来てくれません。先生が見かねて値段が高すぎるんじゃないですかと言われましたが、材料代の事もありますし、ある程度の利益を出さないと保護者の方々にも顔向けが出来ません。

 

私は、屋台から外に出て声をかけだしました。

 

『美味しいよ~。出来立てだよ~。』

 

物を売るのは得意なのですが相手は子供です。それも、せいぜい小学生の。


頑張って声をかけていると男の子二人がお金を握り締めて来てくれました。私は飛び上がって喜びたいのを抑えて接客しました。

 

『もし、美味しかったらみんなに言ってね。』

 

そう言って二人の男の子に出来立てのピザを渡しました。

 

『熱いから気を付けてね。』

 

二人は笑顔で私からピザを受け取ると走ってどこかに消えていきました。私はその二人から頂いた300円を握り締めて、嬉しさのあまり『良し!』と小さくガッツポーズをしました。

 

しばらくすると、さっきまで閑古鳥が鳴いていた状況も一変して、お客さんも増え始めて大盛況です。


小さな子供からお年寄りまで多くのお客様が来てくれました。先程の男の子達も今度は家族を連れて来てくれて、リピーターになってくれました。

 

そんな中に一人の70代くらいの女性のお客様が居ました。話を聞くと孫がピザが好きなので孫に買って行ってあげたいと仰っていました。私は嬉しくなり精一杯の笑顔でピザ渡して、お金を受け取りました。

 

お祭りも大盛況の中で終了して私のピザの屋台も完売することが出来ました。売り上げを保護者の会計係に渡す時に『こんなに売れたんですかまた来年もお願いします。』と言われるほど喜んでいただくことが出来ました。

 

私は、『貴重な経験をさせていただいてありがとうございました。来年もぜひよろしくお願いします。』と言いました。

 

その言葉通りに次の年も、その次の年も私はこの夏祭りに参加させていただいて、私のピザの屋台も大盛況でした。

 

孫がピザが好きだと仰っていた女性のお客様も毎年、一番乗りで準備段階の時から私の場所の前に陣取って、開店を待っていただいてました。

 

『私はあんまり洋食好きじゃないけど、あなたのピザはパリパリしていて美味しいから私は一口食べてファンになったのよ。』そう言っていただけました。

 

『あ、ありがとうございます。』こんなに喜んでもらえるとは思ってもみなかったのでとても嬉しかったのを覚えています。

 

『また、来年ね。』そう言って笑顔で控えめに手を振って女性は帰って行かれました。

 

『また、お願いします。』私は深く頭を下げて見送りました。

 

私のピザの屋台のお客様は年々増えて行って、作る量も1回目からはずいぶんと増えました。そんな状況が数年続いたのですが私の仕事の都合である年、この夏祭りに参加できない年がありました。先生や保護者に連絡をしてその年はお休みを頂くことにしました。

 

翌年、また、声がかかって私のピザの屋台はまた、開店することが出来ました。開店と同時に何人ものお客様に去年は来なかったねと言われながらも大盛況のまま、この年も完売となりました。

 

完売しました。と言う紙を張って後片付けをする私。全部売れたという達成感と去年何で出来なかったんだろうという少しばかりの後悔。そんな思いをはせながら片付け作業をしてました。

 

その時一人のお客様の事が気になりました。あの年配の女性のお客様の事でした。毎年一番乗りで私の屋台のオープンを待っててくれたのに今年はその姿が見えませんでした。あのお客様今年は忙しかったのかなぁとか思いながら。

 

気になったので先生に訊いてみました。『あの毎年、一番乗りのお婆ちゃん、今年は来られなかったですね。』って。


すると、先生の口から衝撃的な言葉が帰ってきました。

 

『ああ、〇〇さん、去年亡くなったのよね。』

 

その言葉に愕然としました。

 

『そう言えば、去年の夏祭りの時に今年はピザのお兄さんは来ないのって寂しそうに言ってたよ。』と続けて言われました。

 

私はショックのあまり言葉を失いました。あんなに毎年、楽しそうに嬉しそうに私の屋台に来てくれていたのに。亡くなっているなんて夢にも思いませんでした。しかも、来れなかった去年も来てくれて楽しみにしてくれてたなんて。思いもかけませんでした。

 

その日の片付けの荷物を車に詰め込んでの帰り道、私は一人車の中で泣きました。

 

『ごめんなさい。おばあちゃん、ピザ食べさせられなくて。ごめんなさい。』

 

そう何度も言いました。今でも、ピザや屋台を見るとあの日のお婆ちゃんの顔を思い出す時があります。

 

『また、来年ね。』そう言って控えめに手を振る姿と笑顔。

 

今思えば、喋りやテクニックではない、私の味の一番最初のお客様だったのかもしれません。私が作る味を気に入ってくれて、年に一度の夏祭りの日に買いに来てくれる。最高のお客様だったと思います。

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願わくば、もう一度、いつも通りの私のピザを食べていただきたかった。今でもそう思います。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

安い肉を柔らかく。シャリアピンステーキの作り方。

シャリアピンステーキってご存知でしょうか?

そうそう、フランスのシャリアピン地方の牛のとっても美味しい肉。嘘です。では何か?

今回は、そのシャンアピンステーキについて書いていきます。

 

安いお肉を買ってきて焼いて食べてみたけど硬かったという経験ありませんか?!

 

うちの奥さんはよく安いから買って来たという事があります。牛肉もそのひとつ。

 

安い牛肉はたいがい硬いです。その硬いお肉を食べながら『やっぱり安いお肉って硬いね。』って言われながら食べた経験が何度もあります。じゃあ、買ってこないでよ!って思いますが(苦笑)

だから、私は、あんまり安い牛肉は買わず、もし買ったとしても硬そうなお肉は煮物に使ったりすることが殆どでした。

 

でも、その硬いお肉が柔らかく食べれれば良いと思いませんか?!

 

きっかけは、子供が安い牛肉を手に持って『これでステーキが食べたい。』って言った事がきっかけでした。目を輝かせて期待する子供に、『このお肉では美味しいステーキ出来ないよ。』とは言えませんでした。

 

では、どうするか?!

 

柔らかくしてみよう!

 

いつもの調子です。

 

お肉を柔らかくする方法は色々あると思います。筋切をする。叩いて伸ばしてビールに浸けるなどありますが、今回私がご紹介する方法は、

 

『シャリアピンステーキ』という調理方法です。

 

『シャリアピンステーキ』

 

聞いたことあるでしょうか?!私は、お肉を柔らかく食べさせたいと色々調べるまでは聞いたこともありませんでした。

 

この『シャリアピンステーキ』調べてみると、オペラ歌手のロシア人フョードル・シャリアピン氏が宿泊していた帝国ホテルで歯が痛くても食べられる柔らかいお肉料理は無いのかとのリクエストに応じて当時の料理長が考案したお肉を柔らかくする調理法らしいです。

 

なんでも、下処理の時に入れる玉ねぎのたんぱく質分解酵素がお肉を柔らかくするらしいです。

 

では、早速、私のやり方で今回は作っていきます。

 

『シャリアピンステーキ』の作り方

 

材料

牛肉・・・今回用意したのは300g 471円のお肉です。安!

玉ねぎ・・・2個 1個は下処理用。 1個はソース用

塩コショウ

ニンニク

その他の盛り付け用野菜・・・今回はもやしとネギ

 

ソースの材料

肉汁

塩コショウ

みりん・・・大さじ2

砂糖・・・大さじ1

醤油・・・大さじ2

 

手順①

牛肉を包丁などでたたいて、筋を切る。フォークなどを刺して数か所に穴をあける。

手順②

①のお肉におろしニンニク、刻んだ玉ねぎ、塩コショウを混ぜ合わせて、冷蔵庫で1時間~3時間ほど寝かせる。

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手順③

鍋に油を敷いてニンニクを炒めてガーリックオイルを作る。お肉を焼いていく。

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スライスしたにんにくが焦げる前に取り出します。

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手順④

お肉が焼けたら、その鍋にもやし、スライス玉ねぎ、その他の調味料を入れてソースを作る。

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手順⑤

出来上がり

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今回は『シャリアピンステーキ丼』にしたので手順④の中に付け合わせの野菜も入れて一緒に炒めてます。

 

国産黒毛和牛のA5ランクの牛肉が簡単に買える家なら良いんですけど、こんな感じでいつも楽しく料理が出来るので私は庶民で良かったと思います(笑)

本当に安く、美味しく、簡単に出来ますので是非お試しあれ!

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。 感謝いたします。

 

 

 

ミートローフ作ったよ。

毎日、毎回の献立を考えるのって結構大変だと思います。作れる料理作れる材料はあっても何にするか思い浮かばずに迷う人も多いはず。そこで今回は、その一品に加えていただこうと『ミートローフ』の作り方書いていきます。

 

『ミートローフ』名前を聞いて、こんなに作るのが難しそうな名前の料理ってあるでしょうか(笑)

 

あくまでも個人的にですけど、例えば私が小学生くらいの子供だったとして友達と昨日のご飯何食べた?って話をしたときに、『うちは唐揚げだった。』と言った時に友達が『うちはミートローフだった。』って言われたらそんな料理知らないので負けたと思ったかもしれません。

 

私はそんな単純な子どもでした(笑)

 

ご飯のおかずで勝ち負けは無いのかもしれませんが私は時に羨ましいなと思う事はありました。では、今回作り方を紹介するミートローフはいったいどんな料理なんでしょう。

 

一言で言えば四角いハンバーグです。

 

何が違うかと言いますと形が違います。『ミートローフ』のローフとはLoafと書きます。大きな一つの塊のパンと言う意味があり、ミートローフの形を意味しています。

簡単に言うとハンバーグは丸形。ミートローフは四角とでも言いましょうか。

 

私が作る場合は、その中に入れる具材も違います。ハンバーグの時は牛肉と豚肉の合いびき肉に、ニンニク、玉ねぎ、にんじんを刻んで入れますが、ミートローフの場合は牛肉と豚肉の合いびき肉か豚肉のひき肉を使い、ニンニクは入れずに玉ねぎ、ニンジン、彩をよくするためにミックスベジタブルなど入れたりします。

 

ネタの味付けはハンバーグは塩コショウのみ。ミートローフはトマトケチャップを入れます。

 

では、作っていきます。

 

材料

・牛と豚の合いびき肉・・・300g

・ニンジン・・・1本

・玉ねぎ・・・1個

・玉子・・・1個

・ベーコン6枚

・ミックスベジタブル

・パン粉・・・1カップ

・塩コショウ

・トマトケチャップ・・・大さじ2

 

そのほかに用意するもの

・オーブン(蒸し器でも可)

・型(今回は)

・クッキングシート

 

野菜はみじん切りにしてミックスベジタブル以外の材料を全て混ぜます。今回はフードプロセッサーで混ぜます。

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ミックスベジタブルを混ぜます。

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今回は横13cm縦6cm高さ4cmの型を使用。型に合わせてクッキングシートを切って敷いておく。

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その中にベーコンを敷き詰める。ベーコンを敷き詰めたらネタを型ギリギリの高さまで詰め込む。(空洞ができると切る時に崩れやすくなるのでしっかりと詰める。)

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オーブンを予熱200℃に温めておく。型をオーブンプレートにひっくり返す。

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型と型の中に敷いたクッキングシートを取り出す。200℃のオーブンで約30分焼く。蒸し器の場合は、水の残量に気をつけながら30~40分位。

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焼き上がり。

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今回はハーフベーコンを使いましたが、ハーフじゃないベーコンを使ってミートローフのネタ全体を包み込んだ方が仕上がりは綺麗です。

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切ってお皿に盛り付けたら出来上がり。別にソースを作ってソースをかけたり、ネタの中に茹で卵やブロッコリーを入れたりしても、切った団名が綺麗になってお勧めです。

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是非お試しあれ。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。 感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

憧れのパンを作ろう。第2作目 ベーグルへの道

ベーグル。ウィキペディアで調べてみるとその歴史は結構新しい。17世紀に作り始められて、1800年代後半にニューヨークのパン屋が広めたと書いてある。ニューヨークから広がった。もうそれだけで私の中ではおしゃれ認定です。

 

今回はそのベーグルを初めて作ってみました。

 

 

私はベーグルが好きです。最初に食べたのはいつだったか分かりませんが、パンの表面がツヤツヤとしていて、一口食べてみれば、モチモチとした食感と噛めば噛むほど甘みが増すそのパンの味に惹かれました。

 

ということで今回はその『ベーグル』作りにチャレンジしてみました。

 

と言っても私はパン作りは素人です。作り方、材料、その作り方の中に出て来る言葉の意味さえも分かりません。

 

今回も前回のカンパーニュ作り同様に出てきましたよ。知らない言葉が。

↓前回のカンパーニュ作りです。


最初に出て来た知らない言葉は『ケトリング』

 

kettle(ケトル)...ing?

 

やかん→ingが付くから茹でるという意味か?!

 

調べてみると、正解のようです。

 

なるほど、なるほど。パン生地を焼けばパン。油で揚げればドーナツ。茹でて焼けばベーグル。という事のようです。

 

それで、あのモチモチ食感とつるりんツヤツヤの肌になるんだなと勝手に解釈しました。前回のカンパーニュ作りで自信を持った私は(←お調子者なので)妻が生ハムを買ってきてくれたので、ベーグルサンドが食べたくなってしまい、早速作ってみようという事になりました。

 

でも、前回のカンパーニュ作りの様に発酵籠を作る必要はないので、前回よりも簡単にできるはず・・・。だと思います。

 

では、今回の材料から。

 

ベーグルの材料

・強力粉・・・250g

・砂糖・・・大さじ1

・塩・・・小さじ1

・ドライイースト3g

・水・・・160cc位

 

今回は生地を捏ねてモチモチ感を出さないといけないらしいですが、まだまだ私の握力、筋力は戻って来てないのでフードプロセッサーの助けを借りました。

 

※フードプロセッサーにブレーカーが付いている物であればパンの生地も捏ねる事が出来ます。ついてないものはモーターの焼き付きで故障することがありますのでマネしないようにしてください。

 

水以外の材料をフードプロセッサーに入れます。

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粉を混ぜ合わせます。

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水を少しずつ入れていき生地にしていきます。一気に入れると柔らかくなりすぎるので慎重にやります。

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ある程度の生地にまとまったので、ボールに移し手で少し捏ねます。ラップをしてそのまま放置(室温30度くらい)一次発酵です。

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生地が倍くらいに膨らんだので一次発酵完了です。時間は30分位でした。

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一次発酵が終わったのでテーブルに打ち粉をして、生地を広げていきます。

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生地をある程度の大きさに広げて4等分に分けました。

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4等分に分けた生地を丸くまとめます。

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生地の上に濡れたふきんをかけて15分ほど放置しました。

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本来は生地を練り込んでドーナツ状にするようですが面倒なのでグリグリと穴をあけて

成形しました。

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濡れたふきんをかけて再び放置。

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2次発酵終了です。

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とまあ、ここまでは順調だったのですが、ここで私は最大の過ちを犯してしましました。2次発酵が終わった生地をこのあとケトリングと言う茹でる工程をやっていくのですが、この日の暑さは以上で室温を気にせずやってしまい、生地が柔らかくなりすぎて、クッキングシートにくっ付いてしまっていて、発酵はどんどん進んでしまいました。

 

焦った私は強引に生地をクッキングシートから剥ぐという大失態を犯したのです。

 

結果、ここまで綺麗に出来てた生地もボロボロ、ぐちゃぐちゃになってしまいました。

 

哀れな姿のベーグル生地ちゃん達。

 

本当に泣きたいくらい悲しかったです。今思えば、キッチンペーパーを4等分に切ってそのまま茹でれば良かったなと思います。

 

仕方なく、50℃くらいのお湯で片面を30秒ずつ茹でます。この時お湯に砂糖や蜂蜜を大さじ4杯くらい溶かしてれば表面がツヤツヤになるらしいのですが、生地がボロボロになったショックで入れるのを忘れてました。

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余熱200℃のオーブンで15分焼きます。

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まあ、こうなりますよね。表面はつっやつやではなくて中学生の時の私のニキビ面の様に残念な仕上がりです。

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残念な焼き上がりにはなりましたけれど、当初の予定通りに生ハム、目玉焼き、キャベツ、チーズを挟んで、ベーグルサンドとして朝食に出しました。

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食感もぼそっと言う感じでモチモチでも無かったです。室温が高すぎて発酵が進み過ぎたのとケトリングが上手くいかなかったという反省点を次のベーグル作りに生かして、必ずや憧れのベーグルを焼いてリベンジをしたいと思います。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

憧れのパンを作ろう。Pain de campagne作りの道 その②

大泉洋さんと原田知世さんが主演した映画『幸せのパン』を観た。そこに出てきたパン。カンパーニュ。その素朴な風合いとパンの歴史に心を奪われた。

 

自作の発酵籠を使って『Pain de campagne』を作っていきます。

↓前回まで

 


前回、苦労に苦労を重ねてやっとの思いで作った発酵籠を使って実際にあこがれのカンパーニュを作っていきたいと思います。

 

とは言っても私は、パン作りに関しては素人。今までも数えるほどしか作った事ありません。だからこそ、この無謀な挑戦をしている訳ですが。

 

さすがに今回のレシピは、全く材料がないのでネットなどで調べました。

 

今回のレシピは、

 

強力粉・・・200g

全粒粉・・・25g

塩  ・・・小さじ1

砂糖 ・・・小さじ1

ドライイースト・・・5g

 

とこんな感じです。準強力粉とか書いてあるものが多かったのですが、今回はわざわざ買うのも勿体ない気がして、スルーしました(笑)

 

今回も前回同様に意味の分からない言葉がいくつか出ていました。発酵の時のパンチとか、発酵後のクープを入れるだとか・・・。

 

知らない言葉だらけで作る気も失せそうになります。でも、美味しいカンパーニュを作って食べるために何とか調べて前進前進です。

 

では作っていきます。

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材料をボールに入れます。

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水以外の材料を混ぜ合わせます。

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水を材料に回し掛けながら混ぜていきます。へらなどで横から中にかけて混ぜていきます。

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ある程度混ぜて、丸く成形したらラップをして30分ほど放置します。室温は30~35℃くらい。これを2回繰り返します。

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ボールの中で混ぜて放置30分を2回繰り返した後の3回目は、混ぜ合わせてラップをした後、そのまま2時間位放置して2倍くらいの大きさになるくらいに放置しました。(一次発酵)

 

テーブルに打ち粉をします。いつの日にかパンを捏ねれるようにと作ったテーブルに陽が当たる日がやってきました(笑)

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テーブルの上で丸く広げて、平らに押し広げながら生地の空気を抜いていきます。

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平らにして生地の3分の1を中に折ります。

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下の3分の1を中に折ります。

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生地の右3分の1を中に折ります。

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左の3分の1を中に折ります。

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お手製発酵籠にたっぷりと打ち粉をします。

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折った部分を底の中に折っていき表面を丸くした方を底の方に向けて、発酵籠に入れます。ここに濡れたふきんを被せて、そのまま30分ほど放置しました。

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この間にオーブンを250℃で予熱しておきます。発酵籠から慎重に生地を取り出して、オーブンの波皿の上に敷いたクッキングシートの上に置きます。

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波皿の周りの溝に水を敷き、生地にクープ(切れ込み)を入れて、そこにバターを塗ります。

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そのまま、210℃のオーブンで20分焼きました。

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中はこんな感じです。

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出来上がりました。

 

Twitterのフォロワーさんに教えてもらって、入院中の病院のベッドの上で『しあわせのパン』と言う映画を観てから4か月。ついに夢にまで見た『Pain de campagne』を自分の手で作ることが出来ました。

 

あの映画を一人病院のベッドで観た時、私は凄く家族のもとに1日でも早く帰りたいと思いました。そして、このカンパーニュを家族の為に焼きたいと思いました。

映画の中で大泉洋さんが演じている水縞尚が言う『カンパーニュって言う言葉があるんです。その意味分かりますか?』という問いかけの答えも今回焼いてみて分かった気がしました。

 

うちの子供はパンが大好きなんです。それも硬めのパン。今回、このカンパーニュを作る時も『パパ、どうせパン作るなら硬いフランスパンを作って』と言っていました。

 

何が出来るかは、その時に言いませんでしたが作っている時もちょくちょく様子を見に来たり、このブログ用の写真も撮ってくれました。そして、焼きあがったパンを目を輝かせて見ながら『美味しそう!早く食べたいと言ってくれました。』私はずっと、この顔が見たかったし、この声が聞きたかったのかもしれません。

 

この憧れのパン作りを終えてカンパーニュ作りには、色々な反省点や改善点が自分の中でありますが、『美味しい。美味しい。』と言って食べてくれる妻と子供の前ではそれも必要じゃないかもしれません。

 

食べて欲しい人が居て、食べてくれる人がいる。本当に幸せなんだと思いました。

 

美味しそうに食べる二人の姿を見ながら、私は心の中で『ただいま。』と言いました。

 

本当に楽しかったカンパーニュ作り。

 

やっぱりもの作りは楽しい。

 

今度は何を作ろうかな。そう思いました。

 

最後に今回のカンパーニュを作るきっかけとなったしあわせのパンを教えてくれたフォロワーさんと発酵籠作り、カンパーニュ作りのアドバイスを頂いたフォロワーさんに感謝いたします。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。