『昭和生まれ。』
古き良き時代とよく言いますが、昔は、あまりピンときませんでした。私も年を取り、30年前の事を語れるようになった時、初めてその意味が分かったような気がします。『昭和』は、私にとってまさにそれでした。
オイルショック真っただ中に、この世に生を受ける。
今回は、病気とは関係なく、ざっくばらんに雑談的な話として『昭和』の話を書いていこうかなと思います。
今現在の年号は、平成。しかも、29年。びっくりしますよね。もうすぐ、平成になって30年ですよ。この前、平成になったのにって思ってたら、もうすぐ30年。
年も取りますね、、、。
この前、お見舞いに来てくれた高校時代の友人。みんな、おっさんでした、、、。
髪の毛もだいぶやばいし、白髪も多くなってたし、目じりのしわとかもね。高校卒業してから、もう20年以上過ぎてますから当然といえば当然ですけどね。
あの頃は、夢や希望もあったけど、会ってみると落ち着くところに落ち着いたって感じで安心しました(笑)お互い様ですけどね。でも、毎回思うけど、ものすごく久しぶりに会うに、普通に喋れるのってすごいなって思いました。
それだけ、お互いに居心地が良いのかもしれません。子供の話とか、仕事の話とか、最近は体の調子が悪いとかそんな話で盛り上がりました。病人の前で、不謹慎なって思うような話もありましたけど、それだけ、気を使ってもらえなかったのが嬉しかったですね。
では、『昭和』の話をしましょう。
私の年齢は、40代前半です。昭和40代生まれ。色んな新しい文化や技術がドンドン一般家庭に入ってきた時代です。記憶をたどっていくと、冷蔵庫、リモコン付きのカラーテレビ、電子レンジ、コーヒーメーカー、ジューサーなどなど、どんどん新しい家庭電化製品が我が家にもやってきました。
今思えば、とても便利とは言えない者たち、、、。とにかく、メンテナンス性が悪かった記憶があります。洗浄するときとか、片付け方とか。掃除機もホースをケースに収納出来て、本体と合体みたいなのありましたねー。
当時、幼かった私は、家にそうした家電が来るたびに、目をキラキラ、胸をワクワクさせていました。
今度来たのは、どんなことが出来るんだろう?!これって何をする機械なんだろう?!
ってな具合です。最初のテレビは、記憶があまり定かでは無いですが、ダイアル式で、チャンネルもVHFとUHFに分かれてまして、VHFのチャンネルを観たければVHFのダイアルをガチャガチャと合わせればいいのですが、UHFのチャンネルを観たければ先ずVHFのダイアルをU(ユー)に合わせて、それから、VHFの下にあるUHFのダイアルをぐるぐると回してチューニングしなければいけませんでした。
今でこそ熊本市も(私が住んでる)当たり前のように、NHKの2チャンネルと民放各社が観れますが当時は、多分、TBS系列とフジテレビ系列の2局しかなかったと思います。今の時代なら、チャンネル合わせるだけでも、大変でしょうね。
よく見ていたテレビは、『ピンポンパン』『スカイライダー』『ニルスの不思議な旅』『魔法少女ララベル』『銀河鉄道999』『未来合体ダルタニアス』『不思議なメルモちゃん』『怪物君』『おじゃまんが山田君』『とんでも戦士ムテキング』『おはよう!スパンク』『ハロー!サンディベル』『花の子ルンルン』『ベルサイユのばら』『機動戦士ガンダム』『あばれはっちゃく』などです。今でも、全部のアニメの主題歌、歌えます。いやー懐かしい。女姉弟なので、チャンネルの主導権は当然姉。
私が先に観てても、『何で!〇〇観てるの!かえてよもうっ!』って、理不尽な怒られ方をされつつ、チャンネルを変えられてました。なので当然、女の子が好きそうなアニメなども一緒に観てましたね。
しばらくして、うちにリモコン付きのテレビがやってきます。ガチャガチャしなくてよくなります。このリモコン付きテレビの登場によってチャンネル争いの様相も変化しました。
変えられまいと、テレビ側のチャンネルを死守する者。隙あらば、遠くからリモコンで変えようと虎視眈々と狙う者。変えては変えられを何回も繰り返しました。
今思い出すと、バカバカしいですが、今みたいにネットもゲーム機も無い時代。
当然テレビも、一家に一台の時代です。熾烈なバトルを毎日繰り返してました。
まあ、毎回、私が力と多数決(女3男1)で負けるんですけどね。←これが私の人格成型に大きく影響与えたんでしょうね。どうしても、趣向が女子っぽいとか。
今書いてて思い出しましたが、当時もらったクリスマスプレゼントもリカちゃん人形のボーイフレンド役イサム君でした。(当時は、おそらく『けんちゃんちゃこちゃん』の影響でけんちゃんとよんでました。)姉がリカちゃんの相手役に欲しがっていたのでしょうが何故か私のクリスマスプレゼントとなりました(TOT)/私は、そのころやってた『未来合体ダルタニアス』の超合金が欲しかったんですけどね。
弟の意見なんて、姉からしてみれば、そんなもんです。今、当時の話をしても、姉たちは、そろってそんなことないよ。ねーって、またしても多数決で負けてしまうんです。
話題を変えましょう。次にやってきたのは、電子レンジでした。今でこそ、ディスカウントスーパーなどで1万円ほどで買えるモデルもある電子レンジ。いくらしたかは、知りませんがおそらく現在の紙幣価値では20万円以上したんじゃないかなぁ。
あの『ヘルシオ』より、断然高かったと思います。ナショナルですよナショナル。今の『パナソニック』ですね。私の父が、わさもん(熊本弁で珍しいもの好きな人)だったので、家電、車などは、友達の家よりも家に来るの早かったですね。稼ぎもあったのかなぁ?!
この電子レンジで、父がハマったのは、『イチゴジャム作り』当時の説明書にケーキとか蒸しパンとかいろいろ書いてあった記憶があるんですが、作ってくれたのはいつもイチゴジャムでした。全自動洗濯機が今の時代に初めて我が家に来た時のように、父と一緒にイチゴジャム出来るまで眺めていました。
私が料理に興味を持ったのは、この電子レンジが我が家に来たからだといえます。感謝ですね。
昭和の話をたくさん書こうと思いましたが、書きながらあふれて来る昭和の思い出に参りそうなので、今回は、この辺で。シリーズ化して書いていこうかなと思います。
読んでいただいた方の中で、一つでも懐かしいと思っていただけることがあれば、幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。