熊本大地震 あの日起こった事。その②
震度7 熊本市を襲った大規模な地震。こんな日でも仕事を休めない自分を呪った。
次々に起こる予測も出来なかった事態。こんな時どうすれば良かったのか?!
シリーズでお送りする『熊本地震』その②
一夜明けて職場へと車を走られる私......。
家族の事、職場の事、友人たちや知り合いの安否など何の確認も出来ないままに私は職場へと向かった。しかし、車の交通量はまばらだが道路の舗装にあちらこちら亀裂があったり、川や道に架かる橋に20~30センチほどの段差が出来たりと通行止めになっている場所も少なくなかった。
私は何とか迂回を繰り返し職場の駐車場へと向かった。いつもは10分足らずで到着出来る場所へこの日は30分以上もかかってしまった。
職場の駐車場へ到着すると他の同僚も何人か出勤していた。他の社員の安否確認やその家族の案を確認し終えると一緒に職場へ向かった。こんな時は駐車場から職場への移動も一人より数人いる方が心強かった。
職場へ到着すると先に来ていた社員が電話の対応に追われていた。電話が終わるとすぐに次の電話がかかってくる。それのひっきりなしに。私も慌てて対応に追われた。
この日は全員出勤できている訳でもなく、被害が大きかった社員や小さな子供やご老人がいる世帯の社員は休んでいた。私も休めばよかったなぁと少しばかり後悔した。
この後の業務内容を上司からこの日出勤できた社員全員に伝えられた。主な内容は地震で倒れたり壊れた物の復帰作業とた営業所への応援派遣だった。
私は復帰作業を早々に済ませ、同僚と多店舗へと向かった。移動の車内では各々昨夜の地震の時に何をしていてどう動いたかなどを熱く語り合った。
話をまとめると『あまりにも突然の事で動こうにも動けなかった。』という結論に落ち着いた。
『こんな日に仕事しているのって日本人位じゃないかなぁ。』これは決して差別的な言葉ではなく勤勉、協調を幼いころから教わってきた自分への戒めの言葉だった。
『そうだね。』車内のみんなが同意してくれ、車内は一気に静かになった。私もそうだが離れている家族や知人の安否を気にしての事だろう。
なんとか、その日の作業が終わる頃、職場の年配の同僚がこう言って来た。
『私の古くからの友人の話によると今夜、もっと大きな地震が来るらしい。信じるかどうかは〇〇さんに任せるけど。その友人は私にそう言う嘘は付かない立派な友人だから。』
『そうなんですか、、、。』私はこう言ってそれ以上は何も言えなかった。
家に戻ってからも先ほどの言葉が頭から離れなかった。でも、その同僚も普段は冗談も言わないまじめな方なので信ぴょう性があった。悩みに悩んだ私は。
(自分が臆病なせいで家族が助かればいいか。)と今晩は車の中で車中泊することに決めた。
夕食後に妻に話をした。妻は了承してくれ家族みんなで車の中に必要最低限のものと布団を運ぶ。猫を2匹飼っているのでその対処をどうしようかと話したが、もしもの場合も体が小さい分下敷きになる危険はまだ少ないと判断し家の中に残していくことにした。
これは本当に苦渋の決断でした。家族なのに。自分は冷たい人間だなと何度も思い中々眠りにつくことが出来ませんでした。でも、この日一睡もしていなかった私はウトウトし始めます。そして、まだ眠りが浅いうちの。
ゴゴゴゴゴゴォォぉォォオォォオ~~~!と前回と同じ地響きがしました。
その直後に大きな揺れ。車内の私は揺れの中、『本当に来た!』と言いました。
2016年4月16日午前1時25分 本震です。
前回の地震の揺れも人生で経験したことのない揺れでしたが今回のものは明らかに前回より多きいと直後に分かりました。車のサスペンションのせいかもとも思いましたが。
大きく揺れる車窓からの見える外の景色はパニック映画さながらのものでした。
大きな揺れとともに我が家は大きく揺れ動き、隣近所の屋根から大量の瓦が落ち、ブロック塀が一気に倒れます。
そして、一瞬の閃光と共に火花が電線を流れました。一気に暗闇に包まれた外の世界。
急いで車のエンジンをかけテレビに情報を求めます。同じくスマホでも。
私と妻の携帯電話から『キュイキュイキュイ!地震です!キュイキュイキュイ!地震です!』と繰り返し地震警報が鳴ります。
直ぐに津波警報が出ました。私の家から海岸線までは2km以上はありますが東日本大震災の時映像が浮かび上がり、恐怖感は一気に加速しました。
『逃げよう』私は妻に言いました。妻は黙ってうなずきまだ寝ている子供を抱き寄せました。私は『猫連れて来る』と二人に言い残し自宅へと向かいました。玄関のかぎを開け中に入ります。玄関の靴箱は倒れ靴が散乱しています。
携帯電話のライトを頼りに猫を探します。昨日片付けたはずの全ての物が昨日よりも酷い状態で散乱していました。
ガラガラガラガラガラ!
再び、大きな揺れです。私はあっ!これは死ぬな。と思いました。一旦逃げたけど家に戻って死ぬパターンだって思いました。本気で思いました。
『ウァァァ~!』と声を上げながら外にいったん退避します。大きな余震は何度もあり、これを何度か繰り返しました。
もういったれ!と津波が迫る中、埒が明かない状況に思い切って家の中に入り猫を探します。いつも猫と接しているために猫が急に人が来た時などに何処に隠れるか把握していたので大体の目途は付いています。まずは玄関に用意しておいた猫のケースを手に取り臆病な雄猫から捕獲します。携帯の明かりは頼りなく手探りで雄猫が良そうな場所へ手を伸ばします。
私の手が雄猫の体を確認した瞬間(にゃぁ~)雄猫が低い鳴き声発しました。
私は『ごめんねごめんね』と何回も言いながら猫をケースに入れて玄関にそれを置きました。揺れはまだ続く中、今度は雌猫の捕獲に向かいます。
雌猫はおそらく寝室に居ます。暗がりの中、名前を繰り返し呼びました。
(にゃぁ~)雄猫の声とは違う甲高い鳴き声が寝室からします。怯えています。
私は寝室に入り、すぐさま猫を抱えたまま、走って玄関の雄猫のケースを手に取り車へと走りました。
生きてる何とか。全身に汗をびっしょりにかいていました。車の近くへ来ると妻が後部座席のスライドドアを開けてくれ、中にケースを入れます。とその瞬間。
『猫の餌は!』妻が言います。『そうよ餌はパパ』子供が続きます。
私はびっくりして『それいる?!』と言います。
『いるよ~』二人が声を揃えて言いました。いつもの多数決です。
『人の気も知らないで!』私は少し怒った口調で言い残し再び自宅へ。
そして、また大きな揺れ。今度は餌のために死ぬパターンか(;´Д`)とか考えながら、急いで餌を手に取り車に戻ります。ここまでの時間は5分もかかっていないと思いますが私にとっては死ぬ思いを何度もした長い長い時間でした。
急いで運転席に飛び乗り車を発進させます。どこに行こうか?!とりあえず高台を目指します。しかし、道路は倒れたブロック塀や瓦が散乱している状態です。でも、アウトドア好きな我が家の車はそんなのものともしませんでした。
少し大通りに出て橋を目指します。近所は川に囲まれていてどこの良きにしても必ず橋を渡らなければなりません。しかしその橋の前が大渋滞。対面通行の道が橋の方向に向けて3台も4台も並列して車が列を成しています。
『これは駄目だ!』私は踵を返し別の方向へと向かいました。結果は同じ。大渋滞です。信号も停電のために消え、パニック映画で都市部から非難する車で溢れてる場面そのものです。怒号やクラクションが頻繁に聞こえます。
(終わったかもしれない。)本気でそう思いました。渋滞の中、後ろを振り返ると不安げな妻と子供。
(俺が諦めるわけには行けない。何とか二人だけでも死なせない。)必死に考えます。どうにか手立てはないか。天の母にも祈ります。助けてと。
そうこうしている時にテレビに津波到着の一報が。津波の高さ数十センチ。
↓この道が大渋滞してたんです!普段は渋滞なんてした事無いのに。
正直ほっとしました。ありがとう。母さん。そう言ってこれからの避難先を頭の中で模索しました。妻とも話し合い海岸線からは離れたいという考えの元、とりあえず私の実家に避難することにしました。
その道中も車で溢れる道。
毛布で身をくるんだ人たちとも沢山すれ違いました。子供を抱える若い夫婦。犬を抱いた年配の人々。泣きながら手を引っ張られて走る子供たち。車に乗せてあげようかと何度も思いましたがそれこそパニックの原因になると思い車のロックを確認し、過ぎ去りました。何もできない。今の自分に出来る事はこの二人の命を確実に守る事。
悔しい思い、不甲斐ない思いを握りつぶしながら道路の状況と自分が知っている裏道を駆使しながら目的地を目指します。橋が落ちていたり、マンホールが盛り上がってたり、ビルが倒れていたり、昨日の地震直後の状況とは明らかに違う街並み。
途中子供がと家に行きたいと言いましたが一人で行かせるわけにもいかず、コンビニを探しますが何処も鍵がかかっており入れませんでした。仕方なく、近所の公共施設を目指します。
そこに到着し車から降りると子供が急に吐きます。その姿を見ると悲しくなり、何度も何度も大丈夫?大丈夫?と訊きました。子供も何とか落ち着いたのでトイレへ。公共施設の中でおにぎりと水をもらいました。車に再び乗りこみ走らせます。
途中の公園や大きな駐車場は人だかりが出来ており緊急的な非難所となっていました。
歩道で寝ている人や何かの明かりの前で座り込んでいる人も沢山見ました。
ようやく、実家にたどり着き父たちと再会を果たします。ここまで来れば、一応の安心です。父たちは家の外に出ており。懐中電灯の明かりを頼りにラジオを聴いていました。
私は車の中からキャンプ道具を取り出し、バーベキューのコンロに薪をくべ火を熾しました。四月とはいえまだまだ冷え込んでいました。妻と姉が家の中か毛布を持ってきてくれキャンプ用のチェアに座りながら、湯を沸かしコーヒーを飲みました。
『どうなるんだろう?』父にコーヒーをすすりながら言いました。
『分からん。』父はため息交じりに首を振りそう言ってコーヒーをゴクリと飲みました。
子供と妻を車の中で寝かし、この日は夜が明けるまで父と語り明かしました、、、。
↑実家の柴犬も不安げです。
考えもしなかった2度目の地震。同僚の助言のおかげで何とかけがもなく無事に実家にたどり着いた私たち。しかしここからが大変な生活の幕開けとなりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝致します。