夏祭りの思いで。~私の大事なお客様~
夏と言えば、夏休み、花火、ラジオ体操、へちま、蝉の声と色々ありますが皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?!今回は私の忘れられない夏の思い出の一つを紹介します。
忘れられない夏の思い出。
今日の晩御飯はお好み焼きを作りました。今、夏休み中の子供と昼間に夏祭りの話をしていて一緒に屋台の動画などを見ていたら無性にお好み焼きが食べたくなったからです。
お好み焼きを焼いていたら、ふと思い出したことがありました。今回はそれを書いていきたいと思います。
私はこの時期になると思いだす『お祭り』があります。お祭りと言っても市や町が開催するような大きなお祭りではなくて、とある保育園で行われていた、そこの園児とその保護者向けの夏祭りです。
私の子供が通っている保育園ではなかったのですが、知り合いが居たこともあり私はこの保育園で夏祭りの時の屋台のボランティアをしていました。開催されるのが夏休みの時期という事もあって毎年、子供たちと近所の大人たちで大盛況のお祭りでした。
頼まれても無いのに、お節介な性格の私はこういう屋台を出したら喜ばれるんじゃないですかと先生たちに提案をして、保護者の説明会にも顔を出して保護者からの了解も得ました。
私が提案した屋台は手作りピザ屋さんでした。生地から作って、2切れで150円でした。素材の味を手作りのおいしいピザを食べてもらいたいという思いから提案をしました。
しかし、その150円という値段に最初は批判的な保護者や保育士さんも居ましたが食べていただいたら喜んでいただけて了解を得る事が出来ました。
夏祭り開催の数日前から仕事が終わって真夜中まで値段とイラストが入ったポップを作ったり屋台のレイアウトを作ったりとひとりで準備をしました。喜んでもらいたい。絶対に失敗は出来ないという思いで。
⇩こんな感じのポップを作ったような気がします。
もう一度言います。これは、ボランティアです。
報酬は他の屋台の焼きそばでした。
そしてドキドキの保育園主催の夏祭りの日。私は2時間ほど前に足を運んで自分の屋台の準備を終えると他の準備も手伝いました。テントの設営やお化け屋敷の準備など。そして、17時になり、いよいよお祭りが始まりました。
しかし・・・。
私の屋台には全く、お客さんが来ません。
遠巻きに見学者は居るのですが私の屋台の前には誰も来てくれませんでした。
10分が過ぎ20分過ぎても誰も来てくれません。先生が見かねて値段が高すぎるんじゃないですかと言われましたが、材料代の事もありますし、ある程度の利益を出さないと保護者の方々にも顔向けが出来ません。
私は、屋台から外に出て声をかけだしました。
『美味しいよ~。出来立てだよ~。』
物を売るのは得意なのですが相手は子供です。それも、せいぜい小学生の。
頑張って声をかけていると男の子二人がお金を握り締めて来てくれました。私は飛び上がって喜びたいのを抑えて接客しました。
『もし、美味しかったらみんなに言ってね。』
そう言って二人の男の子に出来立てのピザを渡しました。
『熱いから気を付けてね。』
二人は笑顔で私からピザを受け取ると走ってどこかに消えていきました。私はその二人から頂いた300円を握り締めて、嬉しさのあまり『良し!』と小さくガッツポーズをしました。
しばらくすると、さっきまで閑古鳥が鳴いていた状況も一変して、お客さんも増え始めて大盛況です。
小さな子供からお年寄りまで多くのお客様が来てくれました。先程の男の子達も今度は家族を連れて来てくれて、リピーターになってくれました。
そんな中に一人の70代くらいの女性のお客様が居ました。話を聞くと孫がピザが好きなので孫に買って行ってあげたいと仰っていました。私は嬉しくなり精一杯の笑顔でピザ渡して、お金を受け取りました。
お祭りも大盛況の中で終了して私のピザの屋台も完売することが出来ました。売り上げを保護者の会計係に渡す時に『こんなに売れたんですかまた来年もお願いします。』と言われるほど喜んでいただくことが出来ました。
私は、『貴重な経験をさせていただいてありがとうございました。来年もぜひよろしくお願いします。』と言いました。
その言葉通りに次の年も、その次の年も私はこの夏祭りに参加させていただいて、私のピザの屋台も大盛況でした。
孫がピザが好きだと仰っていた女性のお客様も毎年、一番乗りで準備段階の時から私の場所の前に陣取って、開店を待っていただいてました。
『私はあんまり洋食好きじゃないけど、あなたのピザはパリパリしていて美味しいから私は一口食べてファンになったのよ。』そう言っていただけました。
『あ、ありがとうございます。』こんなに喜んでもらえるとは思ってもみなかったのでとても嬉しかったのを覚えています。
『また、来年ね。』そう言って笑顔で控えめに手を振って女性は帰って行かれました。
『また、お願いします。』私は深く頭を下げて見送りました。
私のピザの屋台のお客様は年々増えて行って、作る量も1回目からはずいぶんと増えました。そんな状況が数年続いたのですが私の仕事の都合である年、この夏祭りに参加できない年がありました。先生や保護者に連絡をしてその年はお休みを頂くことにしました。
翌年、また、声がかかって私のピザの屋台はまた、開店することが出来ました。開店と同時に何人ものお客様に去年は来なかったねと言われながらも大盛況のまま、この年も完売となりました。
完売しました。と言う紙を張って後片付けをする私。全部売れたという達成感と去年何で出来なかったんだろうという少しばかりの後悔。そんな思いをはせながら片付け作業をしてました。
その時一人のお客様の事が気になりました。あの年配の女性のお客様の事でした。毎年一番乗りで私の屋台のオープンを待っててくれたのに今年はその姿が見えませんでした。あのお客様今年は忙しかったのかなぁとか思いながら。
気になったので先生に訊いてみました。『あの毎年、一番乗りのお婆ちゃん、今年は来られなかったですね。』って。
すると、先生の口から衝撃的な言葉が帰ってきました。
『ああ、〇〇さん、去年亡くなったのよね。』
その言葉に愕然としました。
『そう言えば、去年の夏祭りの時に今年はピザのお兄さんは来ないのって寂しそうに言ってたよ。』と続けて言われました。
私はショックのあまり言葉を失いました。あんなに毎年、楽しそうに嬉しそうに私の屋台に来てくれていたのに。亡くなっているなんて夢にも思いませんでした。しかも、来れなかった去年も来てくれて楽しみにしてくれてたなんて。思いもかけませんでした。
その日の片付けの荷物を車に詰め込んでの帰り道、私は一人車の中で泣きました。
『ごめんなさい。おばあちゃん、ピザ食べさせられなくて。ごめんなさい。』
そう何度も言いました。今でも、ピザや屋台を見るとあの日のお婆ちゃんの顔を思い出す時があります。
『また、来年ね。』そう言って控えめに手を振る姿と笑顔。
今思えば、喋りやテクニックではない、私の味の一番最初のお客様だったのかもしれません。私が作る味を気に入ってくれて、年に一度の夏祭りの日に買いに来てくれる。最高のお客様だったと思います。
願わくば、もう一度、いつも通りの私のピザを食べていただきたかった。今でもそう思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。