幼き日の思い出。
盆休みも終わり実家に集まった家族もそれぞれの生活拠点へと戻っていく。また、来年元気で会えますように。
子供の頃の思い出
本日、8月16日は私の母の命日です。数年前にお盆に迎えに来るという船にぎりぎり間に合ったんだなと家族で話したりしてたのが遥か遠い記憶のような気がします。私の母は4年前に肝臓がんでこの世を去りました。
享年69歳
私たち家族にはあまりにも早すぎる別れでした。人は悲しみを早く忘れられるように出来ていると言いますが、そうなのかも知れません。というか、まだ、受け入れていないような気さえします。
実家に帰ると食事を作る当番は何故か私の役目になります。離れて暮らす父親を喜ばせようという気持ちなのか、日頃の恩義を感じて七日は自分でも分かりませんが食事時になると自然にキッチンへと足が向かいます。
今回のお盆休みもそうでした。私の母はとても料理が上手で家族の誰もが母の味を大好きでした。私もお盆の時期に帰省すれば、母の味を追いつき追い越せといつも張り切ります。
その時も何故か母の分まで作ってしまう事がよくあります。そんな時は、まだ、母が居なくなったことを受け入れていないのかなと思います。
私の母の大好物は『ちゃんぽん』でした。
私と姉たちがもうすぐ母の命日だから弔いにちゃんぽんを作ろうなどと話していた時にいつも頭をよぎる幼い時の思い出があります。
それは、姉が小学校4年生と2年生。私が小学校1年生の時でした。私にとっては初めての終業式の日。熊本では7月24日前後になるでしょうか。その日は普段教室に置いてある私物を全て自宅に持って帰らないといけない日でもありました。一気に持って帰るのは大変だという事で事前に少しずつ持って帰るように指導はされている筈ですが、のんびり屋の私は、この日にまとめて持って帰る事になります。
自業自得です。
とはいえ私は幼い小学校一年生。持てる荷物にも限度があります。でも、この日は習字道具、絵具、画板、鍵盤ハーモニカ、朝顔の鉢など持ちをながら背中には当然ランドセルを背負っています。
学校から出てから数分で一緒に帰る姉に泣きつくこととなります。
『姉ちゃん、重い持って~』半べそで言います。
『あんたが分けて持って帰らないからよ!』姉はこの頃から私とは違って計画的に行動するタイプの人間でした。
そう言いながらも私の荷物を少しだけ持ってくれました。姉が荷物を手分けして持ってくれたとはいえ、私たち姉弟の家は学校から3km以上は離れた場所にありました。学校は山の上にあり、私たちの家も山の上にありました。反対側のですが・・・。
そうなんです。今では考えられないくらいの距離を私たちは徒歩で通っていたのでした。今の時代ならスクールバスや公共の交通機関がありそうなものですが当時はありませんでした。雨が降ろうと雪が降ろうと徒歩でした。
当然、街灯などもありません。
冬場になると、日も早く落ちてしまうので真っ暗な山道をトボトボと歩いていくのです。途中狸に出会ったり、山鳩の鳴き声に恐怖を覚えたものです。
幸いこの日は夏ですし、午前中に下校しているのでそう言った恐怖は皆無なのですが、とにかく重い、辛い、暑い。
私は泣いてしまいました。代わる代わる姉たちは私の荷物を持ってはくれますが、それでも私の荷物は余りにも多すぎます。
そんな時に私が言いました。
『お母さん、迎えに来てくれたらなぁ~。』
すると真ん中の姉が言いました。
『じゃあ、好きなものを大きな声で言えば来るんじゃない。』
一番上の姉が言います。
『じゃあ、ちゃんぽんだね。』
私たち3人は大きくうなずいてニコッと笑ってありったけの大きな声で叫びました。
『ちゃんぽん!ちゃんぽん!ちゃんぽん!』と・・・。
私たちが叫んだ場所は、長い直線道路の端っこでした。叫んだ後に来る訳ないやと言いかけたその時でした。
遥か彼方に見覚えのある車が!
銀色に輝くあの車は間違いなく私たちの母親の車でした。
最初は半信半疑だった私たちもドンドンと近づいてくる母の車に大興奮です。
『ほんとに来た~!』
間違いありません。銀色に輝く車に私たちの救世主となる母が颯爽とハンドルを握って向かってくれています。
『わわわっわあわ~』
私たち3人は大絶叫しながら母を迎えました。
私たちの所に到着した母は、きょとんとしながら『何をそんなに騒いでるの?』と言いました。私は興奮しながら『お母さん、お母さん、ちゃんぽんて聞こえた?』と訊きました。母は、何を言っているのという風な顔で私を見ました。
そのやり取りを見ていた姉が母に説明すると『聞こえたかもしれない』と母は言って、にやりと笑いました。
あれから、40年近くの月日が流れ、私たちも大人になり、それぞれの子供も私たちのその時よりも大きくなりました。毎年この時期になるとあの日の事を思い出し、話しては、大いに盛り上がります。
あの日以降、何度呼んでも母が迎えに来てくれることはありませんでしたが、私たち姉弟にとっては今でも忘れられないエピソードとなっています。
だから、命日のこの日には各家庭で決まって食べます。
母が大好きな『ちゃんぽん』を。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。