Go to Россия!
夏休み最後のこの日、2018年に行われるロシアワールドカップのアジアオセアニア最終予選の日本対オーストラリアの試合が行われました。
久しぶりのサッカーの試合観戦
この日は、去年の12月18日に病院のベッドの上で、クラブワールドカップの鹿島アントラーズ対レアルマドリード戦の試合を観て以来のサッカー観戦となりました。
入院生活をして以来、集中力というものが極端になくなってしまい長時間同じことをするという事に耐えれなくなってしまった私は大好きなスポーツの観戦をほとんど出来なくなりました。
でも、この日は別です。
なぜなら、4年に一度開催されるワールドカップの最終予選の試合日だったからです。しかも、この試合に勝てば日本代表の出場が決まる。この試合だけは見逃すわけにはいきません。
テレビを観るのも久しぶりなのだけど、試合開始までの選手のウォーミングアップの映像が流れてる時に今までの日本代表戦の試合を思い出しました。
一番印象に残っているのは、やっぱり1994年開催のアメリカワールドカップの日本代表対イラク代表戦。いわゆる、ドーハの悲劇の試合です。
サッカーと言うスポーツは、私が子供の頃は、今の様にメジャーなスポーツではありませんでした。でも、漫画『キャプテン翼』が週刊少年ジャンプで連載されて、その後にアニメ化されてテレビ放送が始まると一気に子供たちの中でのサッカー熱が過熱していった様に思います。
私もその中の一人でした。
公園での遊びも野球一辺倒だったのにサッカーをやるようになり、サッカー組対野球組での派閥争いなども起きるようになりました。
学校のグラウンドも奪い合いでした。
日本のサッカー界にとっては、黎明期でした。
それから、私が中学生、高校生と成長していく過程で、同級生の中でもサッカーでブラジルに留学するという友人や将来はサッカー選手になるという友人も出て来ました。
その時はまだ、Jリーグもまだ発足していなくプロのサッカー選手なんてどこにもいなかったと思います。
それが1993年に日本プロサッカーリーグが発足しました。
Jリーグです。
華々しく、始まったこのJリーグ。テレビで観るプロ野球に比べて、演出も何もかもがどこか垢ぬけていてカッコ良かったことを覚えています。
そんな時に開催されたのが1994年アメリカワールドカップの予選でした。
前回大会の1990年イタリアワールドカップでの西ドイツやブラジルやオランダの試合を観てワールドカップに強烈な憧れを抱いていた私は、この舞台に日本も行けるかもしれないという夢を抱いていました。
この時に調べてみると、ここまで日本はワールドカップ出場は夢のまた夢と言う事実に何故か俄然と燃えて私も夢に拍車をかけて行きました。
勝ったら一緒にアメリカに行こうと。
こんな事があって、1993年のアジア最終予選はいつも一人で白熱して観ていました。三浦知良選手、ラモス瑠偉選手、柱谷哲二選手が居た時代でした。
夜中にテレビに嚙り付いてどの試合も必死に応援していました。
そして、あの日、1993年10月28日カタールのアルアリスタジアムで行われた日本代表対イラク代表の一戦。
最終予選の最終試合。その時日本は、6チーム中1位。勝てば文句なくワールドカップ出場。引き分け以下ならば他のチーム次第。と言うまさに正念場。
危なげないながらも、三浦選手や中山選手のゴールで2-1で日本代表がリード。試合時間もあとわずかと言うときにイラク側のコーナーキックになりました。
(ここを凌げばワールドカップに行ける!)
当時、マンションで一人暮らしをしていた私は、万歳の準備をしながら試合終了のホイッスルを待ちました。
頑張れ!もう少し!凌いでくれと!
と・・・その時・・・
イラクの選手は、ゴール前にボールを上げることなく、近くの選手にちょんとパスを出した。ショートコーナーという方法をとったんです。
なんで、ここでショートコーナーなの?
時間無いのに。
多分、多くのサッカー経験者が思ったかもしれません。1点負けてる状況で、残り時間もあと僅かなはず。いつ試合終了のホイッスルが鳴るか分からない状況なのに。イラクの選手が選んだのは手間も時間もかかるショートコーナーだったからです。
でも、これが正に『虚をつかれる』という事だったのでしょう。
ショートコーナーに気付いた三浦選手が慌ててスライディングに行くが届かず、左サイドから上がったボールは見事イラクの選手の頭に当たり、日本のゴールキーパーの松永選手の頭の上を大きな弧を描いて越えて行きました。
くるくるとゴールの中へ。
『あーーーーーーーーーーーー!!!!!!』
私が住んでいたマンション中にこんな声が響き渡りました。窓の外からもあちこちから聴こえて来ました。
多分日本中で悲鳴があがったでしょう。
入った。
2-2の同点だ。
そして、試合終了のホイッスル。
終わった。
テレビの前で呆然となり、事態が呑み込めなませんでした。それは、テレビの中の日本代表の選手たちも同じでした。その場に崩れ落ちるもの。顔を両手で覆うもの。
そして、泣き崩れる中山選手。
私もその場を動けずに泣きました。
そして、何もする気持ちになれずに明けた日の仕事を休んでしまいました。
あれから、20数年。日本代表は5大会連続で出場して、この日に見事オーストラリア代表を下して6回目のワールドカップ出場を決めました。
今、日本代表として戦っている選手たちの殆どがこの『ドーハの悲劇』を知らない選手たち。
昨日の試合を観る限り、よく走り、よく守る良いチームだと思いました。
完全に個人的な意見ですが日本には王様も芸術家もいらないと思います。
皆が皆の為に汗をかき、声を掛け合って、エネルギッシュに走り回り、時には強引に行って欲しいです。
この日の試合は本当に見ていてワクワクしたし楽しかった。ワールドカップに出る試合ではなくてワールドカップでこれが日本のサッカーだというサッカーで勝負してもらいたいと思いました。。
いまでも、20数年前のあの代表のチームはみんなが熱く声を出して走り回っていました。だから、まだまだ未発達な日本中の日本代表のサポーターが熱狂できたのだと思います。
頑張れニッポン!
ありがとうニッポン!
期待してるぞニッポン!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。