紙芝居作った話。『にんじんのおはなし』
娘がまだまだ幼い時、夜添い寝しながら寝かしつけるために話した『お話』今回はそのお話の中の一つを紙芝居にした話を書いていきます。
毎晩、毎晩、よくもまあ話したものだ。
約半年前に悪性リンパ腫と医師に告知をされて、入院と一時退院を繰り返しながら、何となく家の中の身辺整理をしようと片付けを始めた私。
その殆どはゴミとして焼却場に焼却しに行ったけど、ずっと探していた思いもよらないものがこの時に出てきた。
ビデオカメラの充電器である。
どんなに探しても無かった充電器。
子供が生まれてすぐに缶コーヒージョージアの懸賞で当たったビデオカメラ。子供の成長過程をずっと撮り貯めていたのだけれど、いつの頃からか充電器が見当たらなくなり、ビデオカメラを使うことが出来なくなった。
あれから3年ほど。
不意に出てきた充電器をビデオカメラに繋ぎ中の映像を見始めた。そこには幼い我が子と元気な姿の私が居た。
幼い子供の笑い声、元気な私の笑い声。
今は、そんなに幼い娘も元気な私の姿も、もうなかった。
泣けてきた。
この中の映像がいつでも見れるようにと中のデータをパソコンの中にバックアップした。
その日の夜、ふと昔の事を思い出した。娘が幼いときに、私は毎晩のように娘を寝かしつけるための『おはなし』を毎晩即興で話していた。
あの話をこのまま無かった事にはしたくない。そう思った私は、娘に話した『おはなし』の中でも特に印象に残った『にんじんのおはなし』を紙芝居として残すことにした。
紙芝居の枠台も中の紙芝居も全て手作りだ。
紙芝居のイラストも抗がん剤の副作用が多く残る手で、慣れないマウスを使って一生懸命に描いた。
紙芝居の台枠も、握力も体力も無い中で一生懸命に作った。
慣れない体、不自由な体、そして、抗がん剤の影響なのか、続かない集中力。
中々思った通りに捗らない作業に苛立ちを覚えながらも、やっとの思いでこの日完成した。
思えば、『悪性リンパ腫』と言う病気になってからというも、ひとつのものを成し遂げられるとは思わなかった。
でも、この日完成することが出来た。
こんな達成感はいつの日以来なのだろう。
素直に嬉しいし、自分自身を褒めてあげたい。世のお父さんはもっと頑張っている。もっと稼いでいる。
でも、今の私にはこれくらいしか出来ない。
出来ないのだ。
悔しいし、悲しい。
でもね。でもね。でもね。
もう、決めたんだ。やりたい事をやりたいだけやって。
自分自身をもっともっと表現することに。
このお話は私と娘の大事な特別な思い出。
ニンジンが嫌いだった娘の為にどうにか食べれるようにならないかと考えて話したお話。
この『ニンジンのおはなし』を話した次の日から娘はニンジンを食べれるようになった。それまでは滅多に食べなかったのに。そして今日まで彼女はニンジンを残さなくなった。
この時、子供にとって紙芝居や絵本の力がどんなに役に立ってどんなに子供達に必要なのかを改めて思った。
その紙芝居が出来た。
パパ頑張ったよ。
娘に『にんじんのおはなしの紙芝居がが出来たよ』と伝えると、眼を輝かせて喜んでくれた。その後、一緒に出来立ての紙芝居を楽しんだ。
彼女が私の紙芝居の観客様第一号となった。
話し終えると娘はとても喜んでくれた。
私は、これからも娘にもっともっと感動をさせてあげたいと思った。これからの彼女の人生の中に残る私と言う存在の思い出を感動や喜びでいっぱいにしてあげたいと強く思う。
今の私に出来る事。
娘をいつも笑顔にしてあげたい。
喜びを知る人間にしてあげたい。
だから、私が一番傍で彼女に、私が頑張る姿、喜ぶ姿を見せてあげたいと思う。
これが私が出来る事。
この紙芝居は近日中にyoutubeにて公開したいと思います。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。
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