熊本大地震 あの日起こった事。その①
2016年21時26分熊本県熊本市を震源とする大地震が起こった。
マグニチュード6.5
最大震度7
大地震を映像で知っていた私もその大きな揺れで大地震の恐怖を感じた。
今なお一向に進まない復興。私はこの地震で何を失い。何を得たのか。
ごく普通のごく平凡な日常。それが一瞬で消え去る。それほどの大きな揺れでした。
この日は仕事も早々に終わり夕食の準備に取り掛かりました。子供が苦手なピーマン。それを使って作ったピーマンの肉詰め。食べれないものがやり方次第で食べれるようになる。工夫次第で。そんなことに喜びを感じつつ作っていたことを覚えています。
夕食作りも終え、私が作った料理を家族と囲んで一日あったことを報告しながら笑ったり、自分の考えを言ったり、そんなごく普通のどこにでもあるような家族とのひと時でした。その後、TVを観たり、お風呂に入ったり、各々が自分の時間を有意義に使い時を過ごしました。
『じゃあ、もう寝るね。』夕食の食器を洗い終え次の日も早朝から仕事がある私は子供と妻にそう言いながら寝室へと向かいました。
明日も早いなぁ~嫌だなぁ~といつもの様に。猫と一緒に布団に入ったことでしょう。
ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォ!
ドーン!ガラガラガラガラガラ!
!!!!!!!!
(何だ?!何?!)
『わあああああああぁぁぁぁ~~~!』
熟睡をしてた私は突然の下から突き上げるような衝撃と大きな横揺れに跳ね起き大声で叫びました。横を見たら寝ているはずの家族の姿がありません。
二人はどこに行ったんだ!!!!
これが最初に頭に浮かんだことでした。
私はまだ大きな横揺れが続く中、家族を探しました。その途中色んなものが落ちてきます。
自分の体を支える事も出来ずに柱にしがみつき二人の名前を大声で叫びました。
『ここにいるよ!』妻の声が隣の部屋から聞こえました。
私は壁を頼りながら大揺れの中進みます。部屋の扉を開けると妻と子供の姿がありました。
妻は子供の背中に手をやり『大丈夫。大丈夫よぉ~』と背中をさすってます。
子供はテーブルの下に隠れ必死に顔を伏せていました。
『良かった。大丈夫だったね。』そういう事が精いっぱいの私。
『うん。何とか大丈夫。』妻は子供の背中をさすりながらかすかに笑っています。
『パパ~揺れたね!』子供も少し興奮しています。
私は小脇に枕を抱えているのに冷静で親の勤めもしっかりとこなしていた妻。
すげぇーなってこの時、単純に思いました。
直ぐに時計を見たら21時26分。真夜中だと思ってた私。まだ、就寝して30分ほどしか経ってませんでした。そりゃそうか。二人が居なくて当然か。そう思い深く息を吐きました。
すぐさまテレビをNHKに変え、地震の速報を待ちました。
ゴゴゴゴゴオゴゴゴゴゴゴオオ~!!!すぐにまた揺れます。
次々にタンスやテレビが載っているサイドボードの上から物が落ちます。
『外に出ようか?!』私が言うと。妻は答えずテレビを観ていました。
震源地熊本県熊本市東部 マグニチュード6.5
どおりで飛び起きるわけです。もう寝れるはずもありません。停電もなく、私は色んな媒体で情報を集めました。TV・ラジオ・インターネット。どれもこれも地震の初期の情報で溢れかえっていました。
『まだ、あんまり詳しい情報はないね。』『そりゃそうでしょ。』『逃げた方が良いかな?』『まだ、情報が少なすぎて動こうにも動けないね。』『部屋もこの状態じゃ荷物の準備も出来ないし』そんな事を余震が続く中、話しました。子供は妻の胸に抱かれ、寝ていました。
どうなるんだろう。大きな不安を抱えつつ。眠ることも出来ず、どこから手を付けていいのかも分からない家の中を仕方なく、ある程度片付けました。
その後、妻と子供を家に残し、後ろ髪を思いっきりひかれる思いで朝の仕事に行きます。妻も子供も布団で寝ていました。私はこの時、昼間の仕事と朝の新聞配達を掛け持ちしており、いつもよりずいぶん早い出勤をしました。いつもの道いつもの風景。
道もそんなに遜色なく通ることが出来ました。新聞の販売所の明かりに少しばかり安堵をします。
『おはよう!』いつもは愛想も何もない同僚の年配男性が私に気付き挨拶をしてくれました。
『おはようございます。』私はいつも通りのあいさつをしました。
『大丈夫だったね?!』この男性が訊いてきました。
『大丈夫でした。何とか。』もう3か月位毎朝、顔を見合わせているのに初めての会話です。
よく見るといつもは私よりもっと遅い同僚など結構な人が居ました。
(みんな不安なんだな。)そう思いました。
いつもは3時30分位に来る朝刊がまだ販売店に届きません。私たちはいつもより1時間以上遅く届いた新聞を店内へと運び、その運び込んだ新聞の一面を凝視しました。
↓その時見たの地元紙の一面です。
そこにいた全員が黙り込み誰も口を開くものは居ませんでした。しばらくすると私の中でこの情報をお客様が待ってる。一刻も早く届けねばと思い大急ぎでバイクに積み込みました。こんなに大きな使命感を持っての配達は初めてです。
大急ぎで通いなれたルートをバイクで新聞を配り始めました。いつもはまだまだ暗い町並みも家もこの日は電気が点いており起きていた方が多かったように思います。中には外に出ている方も居ました。
『おはようございます。大丈夫でしたか?』私は玄関先で不安げな表情のお客様に声をかけました。いつもは当然寝ていらっしゃる時間なんですがこの日初めてお会いしました。
『うちの飼い犬が逃げて帰ってこないのよ。』そのお客様は不安な中、玄関先で飼い犬の帰りを待っているようでした。
『犬も怖い思いしたのでしょう。しばらくして落ち着いて帰ってきたらいいですね。お怪我などは無かったですか?』
『怪我はないですけど。怖くて怖くて家の中には居られないの。』
『そうですよね。まだ揺れは続いてるので外の方が安全かもしれませんね。でも、寒いので温かくしてくださいね。』
『ありがとう。』そんな会話を何人ものお客様と何度も繰り返し次へまた次へと新聞を配りました。途中、液状化現象で道路が冠水しおり思いっきり転びそうになったり、曲がり角曲がったらブロック塀が倒れててぶつかりそうになりました。何度も何度も。私はバイクで配ることに恐怖を覚え、小脇に抱え走って配ることにしました。
本当に怖かった。
配ってるときは全く寝れずにハイになっていましたし、強い使命感もあったのでとにかく必死でしたが配り終えた後はどっと疲れ、くたくたになりしばらく立ち上がる事さえできませんでした。下り終えたのはいつもより1時間以上も多く時間がかかってしまいました。何とか立ち上がり家に向かいます。私が家を出ている間も小さな揺れはありましたが大きな揺れは無かったので大丈夫だとは思いましたがとにかく急ぎました。
明るくなるにつれ、いかに地震が大きかったかを感じざるをえませんでした。販売所に向かう間は暗くて見えなかっただけでその傷跡は甚大でした。倒れたブロック塀、割れたガラス。落ちた瓦で道は瓦礫だらけでした。中には倒壊しかけた家まで。朝日の中虚ろな表情でふらふら歩く人とも何人かすれ違いました。
本当に大変になことになったぞ。
家に帰ると妻と子供がテレビを観ていました。どこもかしこも地震のニュース当たり前ですが。色んな情報が飛び交っていました。良くない情報ばかりでしたが。この日のこの事をどうするか妻と話し合い妻は子供と家に残るという事で私は仕方なく仕事に向かいました。
明るくなっても、いつもより車はまばら。でも、あちらこちらに瓦礫が落ちています。
私の昼間の仕事は自動車関係の仕事でした。みんな大丈夫だろうか。まだ、この仕事を始めて2週間ほどだった私。それでも仲間は仲間です。みんな無事であってくれと願いながら職場へと向かいました、、、。
突然襲った大地震。ご存知の通り、多くの尊い命、財産、夢、希望が失われました。
あれから一年経ち、一見普通に生活できてはいますがまだまだ、完全に元の生活に戻れたとは言えません。
今回から数回に分けて熊本大地震についてblogを書いていきたいと思います。
この地震で喪った多くのものにお悔やみ申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。