make the style. オレンジランプのブログ

私、オレンジランプが自由気ままに過ごす日常。大好きなもの作り。料理。家具製作。猫。アウトドア。子育て論。などなど、気ままに発信していきます。

自分の椅子を作った話 その② 設計・材料購入編

自分専用の椅子。あったらいいなぁを形にする。シリーズ第2回目です。

 

ドンドン夢は膨らんでいきます。

 

前回の『自分の椅子を作る』でデザイン案を作りました。今回はそのデザイン案に沿って『設計図』を描いていきます。

 

③採寸

 

一般的な椅子を作るのであれば、一般的に良いとされている寸法があるのでそれに従って作ることもありますが、今回作る椅子は自分専用の椅子なので、実際に自分の体の大きさを測って、それに沿って作っていきます。

 

もの作りで大事な寸法。

 

もの作りで重要なのは、そのものの大きさをどれくらいにするかという事。

 

これを見誤ってしまうと、せっかく苦労して出来上がったものは無用の長物、部屋のオブジェと化してしまいます。そうならない為にも、この採寸は非常に重要な工程となります。

 

採寸。実際に私の体を使って寸法を採っていきます。寸法を測る場所は主に3つです。

 

 

椅子を作る時に私が重要視している3つの計測ポイント

 

1.床から膝裏までの高さ

2.床から肘までの高さ

3.背もたれの角度

 

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1.床から膝裏までの高さ

1つ目は床から膝裏までの高さ。この高さが高いか低いかで椅子から座る時、立ち上がる時の体にかかる負担と長時間座った時の疲労感が変わってきます。

 

高くすると長時間座ると疲れるかもしれません。でも、立ち上がる時がすごく楽になります。低くするとゆっくりと座れますが立ち上がる時にちょっと力が必要になります。

 

私は今、筋力がないので前者の高い方で作ります。

 

採寸した結果は330mmでした。(寸法の表記はmmで行います。)

 

2.床から肘までの高さ

 

2つ目のポイントは床から肘の高さ。

これも体に合ってるか合ってないかで、座り心地に雲泥の差が出ます。

 

この高さは580mmでした。

 

3.背もたれの角度

 

3つ目は座る背もたれの角度です。自動車や新幹線の座席を思い浮かべていただくと分かりやすいかもしれません。倒しすぎるとゆっくりできますが起き上がるのが大変になり、起こしすぎるとリラックスできません。

 

この角度も座り心地の重要な部分なのです。でもこれは、少し測りにくい場所なので木工の制作過程で実際に座ってみながら私の体に合わせていく事にしました。

 

測った寸法を記録として残します。

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次に採寸した寸法に沿って設計・製図を行います。事前に使う材料の大きさなどの情報を準備しておく必要があります。

 

今回使う材料はホームセンターなどで売っている『SPF材』というウッドデッキや木工家具、2×4材(ツーバイフォー)の時に良く使われる材料を使います。

既製品として売っているので、その材料に合わせて木材の加工も最小限にとどめるように図面を描いていきます。

 

④製図

製図はフリーソフトの『JWCAD』という製図のソフトを使って描いていきます。

数年ぶりに図面を書くので操作方法を思い出しながらの作業となったので、これが一番大変な工程となりました(大汗)

 

JWCADに興味がある方は無料でダウンロードできますし、使い方もネットだったり、書籍も数多く発行されていますのでぜひ使ってみてはいかがでしょうか。

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 少し見にくいかもしれませんが一応貼っておきます。

 

⑤板割と積算

私の体に合わせた採寸した寸法に合わせた図面の制作が終わったので、今度は、その図面に合わせて実際どれくらいの量の木材やその他の材料が必要になるのかを電卓と図面とにらめっこしながら計算していきます。

ここで、重要なポイントは材料の大きさや、その値段、数量などです。

 

先ずは材料をどのくらいに加工して使うかの板割表を描きます。

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次にこの板割表に対してどの材料がどれくらい必要かなどを書きます。この場合、足りなくなったり、加工中のミスやトラブルで足りなくなる場合もあるので少し多めに書いておきます。

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ここまで出来たら、実際に材料を買いに行きましょう。

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ホームセンターに木材を買いに来ました。ここのお店は木材の種類が豊富で大のお気に入りです。お店によっては木材の品質、豊富さ、値段もバラバラなので、いろんなお店に足を運んでお店それぞれの情報があると良いですね。

 

この材料を買う時に重要なポイントは、

 

ホームセンターだからと言って安易に材料を買ってはいけません。

 

なぜなら、その材料の品質はバラバラだからです。加工品などは良いかもしれませんが、木材などは生きていたものなので同じものはこの世に2つと存在しません。

 

木目があったり、節があったり、くるいがあったりします。

 

 木工品の良さは木目や節の自然な風合いだと思いますが、この自然なものだからこそ、それが加工の過程で割れたり、曲がったり、節が抜けて穴が開いたりとトラブルの原因になるので材料選びはかなり真剣になります。

 

木材の材料選びのポイント その1

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その1は材料が綺麗か?です。カビが生えてたり、汚れやシミがあっては、完成品が台無しになってしまいます。節という枝が生えていた場所が多ければそこを切った時にノコギリの歯を痛めたり、節が割れて抜けて穴が空いたりもします。

 

板として加工してある材料の中には板に加工される前の段階で木の表皮側だった場合には不揃いな場合もあります。実際に板を手に取って入念にチェックしましょう。

 

その2

 

その2はその木材に『くるい』がないかをチェックします。くるいとは曲がりや反り、うねりの事です。自然な木材はこのくるいもそれぞれなのでしっかりと木口側から見てくるいがないかをチェックしましょう。

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木材選びは真剣に!!!

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今回は木材選びのプロに選んでもらっています(汗)

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 木材選びが終わったらお金を払って、あとは加工を残すのみです。

ここまで来たらもう後には引けませんね(笑)実際に自分が描いた図面、板割表があってるかの確認です(笑)その情報が間違っていればいるほど加工作業の時に苦労を強いられることになります。

 

では、次回は『自分の椅子を作った話 その③木材加工編』を書いていきたいと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『父』とあらためて言うと何か難しくなる。母には素直になれても父には中々、素直になれませんでした。同性だからかな。

 

ライバルであり目標。

 

今回は『父』について書きたいと思います。最近は、父の日も話題になりますけれど、母の日と比べると遥かに及びません。私が子供の頃なんて、もっと話題になりませんでした。私も父の日に感謝の意を示したことは数える程しかなかったと思います。

 

私の父親を一言で言うと、

 

優しい人です。

 

凄く優しい人だと思います。自分がどんな状況でも困っている人や悩んでいる人を受け入れて、自分を犠牲にしてまでも困っている人に手を差し伸べるそんな人です。

それが切っ掛けで家族がとんでもない目にあったこともありますし、私もなんてお人好しなんだ。馬鹿じゃないの!って思って、罵ったこともありました。

 

『それでも親か!』

 

そう言いながら本気で殴ったこともありました。この時は本当に家族がバラバラで直接父が悪い訳でもないのですが、まだ考え方が未熟で稚拙だった私の怒りの矛先は父に行ってしまいました。

 

今思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

その夜は、大好きな父を殴ってしまったという罪悪感と背徳感と自己嫌悪と息子に殴られた父の痛みを思い、布団にくるまって一晩中泣いたのを覚えています。その時の私の拳の痛みなんて数日もすればひきますが、父の痛みはまだ癒えていないかもしれません。

 

私は幼いころから父の事が大好きです。私の最大の理解者だと思っていますし、今でも大好きです。この父の息子として生まれてきて良かったと思います。

 

自分が父親になるまでは、父というか男はすべてを語り、しっかりと理解をさせてくれる人だと思っていました。それがこの時の父に激しく怒りを覚えた理由でした。

 

でも、自分が父となった今は、全てを理解させる理由も必要もないし、そんなの出来るはずもない。色んな悩みを抱え、色んな葛藤と闘いながら弱音を吐きたくても吐くこともなく、生きなければいけないのかなっていう事も強く感じました。

 

父は背中で語る。

 

そう言いますが、とてもそれは大変な事だと思っています。

私の父はいわゆる戦争孤児で3歳の頃に両親を戦争と病気で立て続けに喪っています。

そこから親戚をたらい回しにされたあげくに祖父の出身地の長崎県と祖母の出身地の大分県に住んでいたと聞いています。

 

私が子供の頃は父方の祖父と祖母が居ない事に大変な疑問を抱いていました。母方には居るのに何でだろうって。

 

幼かったこともあるんですけど当たり前ではないという事が分かりませんでした。

大分県の高校を出た後に、職人の丁稚から始まり、職人になり、親方になって、独立して社長となりました。私の記憶は父が職人から独立するくらいからしかないのですが、すごく信頼されて、すごく真面目な父だったと記憶しています。

 

その父は、今もその仕事をやっています。

 

76歳。

 

今でも現役のバリバリです。60年近く同じ仕事をやっている訳です。もう、言葉が出ません。

 

父ちゃん凄い。

 

私を母とともに育て上げてくれて、今は孫の面倒まで見てくれていて本当に感謝したくても感謝し尽くせません。

 

子供の頃は、仕事が忙しくてなかなか遊んでくれずに寂しい思いもしましたけど、

私がもの作りが大好きになったり、アウトドアが好きになったきっかけは間違いなく、母ではなく父の影響です。

 

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仕事の合間に釣りに連れて行ってくれたり、キャンプに行ったり、壊れたおもちゃを直してくれたり、竹馬やベッドを作ってくれたり。色んな遊びも教えてくれました。

 

その遊びを私が今は私の子供に伝えています。

 

今の私に出来ること、残せるものというものがこのブログの最大のテーマですが、

私の考え方や人に対する接し方、発想などの多くは父から受け継いだものだと思っています。

 

今でも家具を作っている時や料理を作っている時に口を挟まれて苛立つこともありますが(笑)それが同性の親なんだと思います。

 

母が居なくなった今も、父は私たち家族を見守っていてくれます。子供の頃は大好きで思春期の過程で嫌いだと思ったこともありましたけど、今は子供の頃以上にこの父の傍にいたいと思います。

 

私の見本であり、人生の師匠でもある父。

 

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私のお見舞いに来てくれて私が見た父と我が子の背中。果物を洗ってくれています。

 

いつの日にか、今は幼い背中の我が子が、同じ光景を見て微笑ましく思ってくれるようにこれからもっともっと、頑張らないといけないと思っています。

 

『父さん、いつもありがとう。父さん格好よかよ。俺も父さんの様になりたか。』 

 

あなたの息子より。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

自分の椅子を作った話 デザイン編

ハンドメイドその言葉を聞いただけでもワクワクします。自分でつくる自分だけもの。その喜びを伝えたい。

 

家具作りが好きな私ですが、よくよく考えたら自分専用の家具を作った事はありませんでした。そんなわけで今回からしばらく自分専用に作った椅子づくりの話をシリーズでお贈りいたします。

 

基本は何でもD.I.Y Do It Yourself

 

無いものはとりあえず作ろう。これが私の信念です。失敗したらどうしようとかは考えません。出来るか出来ないかは考えますけれど、その殆どが多分できるんじゃない。

っていう考えにたどり着きます。けっこういいかげんですが(笑)

 

これまでも、テレビなどのAVボードや食器棚、子供の学習机、本棚、書斎の机などを作ってきました。でも、よくよく考えたら自分専用の家具って作った事がありませんでした。

 

病気の影響で体力、筋力が極端に落ちてしまったという事もあって、今回は自分専用の椅子を作ってみようと思いたったのです。

 

自分専用の椅子。

 

凄い贅沢な気がします。もちろんハンドメイドなので自分の体に合わせてサイズも合わせます。考えただけでもウキウキしました。

 

①どんな椅子にするか

最初にやるべきことはその椅子のデザイン。どんな椅子にするかです。時間も予算もあればどっしりと座れるソファーなんかも良いと思うんですけど、今の体力じゃそれも無理そうなので、自分の体のコンディションや予算、用途などに合わせて優先順位も考えて書き出しました。

 

用途

・快適に座れるもの         優先順位   高

・簡単に出来るもの

・シンプルなもの

・材料費が安く出来るもの

・永い間使えるもの                低

 

この中でも優先順位は簡単に出来て快適に座れるものでした。これを考慮して、簡単なデザインを描いていきます。

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デザイン案の一番最初はこんな感じの本当に簡素な折りたたみ出来る椅子でした。

この椅子ならば2,3時間もあれば出来るし材料も今家にある材料で何とかできそうです。でも、ゆっくりと座れるかには疑問が残りました。

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次のデザインは背もたれを付けて出来るだけ、簡単に作れてゆっくり出来るようにしました。ほぼほぼこれで作ろうかと思っていたんですが、どうせ作るのなら永く使えるものが良いなと思いはじめ、折りたたみの場合は強度に問題があるし家の中で使うから折りたためる必要もないという事でシンプルかつ、しっかりとした作りにしました。

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これが最終案です。この作りだったら強度的にも強いし簡単に出来そうです。

私が使う椅子なので私の体重さえ支えてくれれば良いのでデザインで行くことにしました。

 

②どんな材料を使うか

デザインが決まったので今度はどんな材料を使ってどんな味を出していくかです。

椅子って家具の中でも、その人の個性や雰囲気が出せる家具だと思うのでこれも結構悩みました。

 

枠組はもちろん木材です。その中でも加工がしやすく、木目もしっかりとしているパイン材を使う事にしました。

 

座面もスポンジや低反発の素材を考えたのですが、これからの季節暑くなることを考え、い草のクッションを使う事にしました。クッションを交換すれば寒くなってもそれを交換するだけで雰囲気も使い心地も冬仕様に出来るのでこれで決定です。

 

デザインが決まればそのワクワクも一気に加速していきます。私の夢はどんどん膨らんでいきました。もの作りをしている時に一番楽しいのはこの時だと思います。

実際、制作をしている時は何でこんな作りにしたんだろうとか作業が面倒な時もありますので(笑)

 

皆さんもぜひ、このブログを読んで自分の椅子や何かの家具が欲しいと思った方は、そのデザインを描いてみてはどうでしょうか。きっと夢が広がってワクワクすること間違いなしですよ。

 

次回は自分の体に合わせた採寸と設計図編です。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

いいあんべぇ。

どんなときでも元気が出て、お腹にたまって、それでいて飽きない。そんな、食べ物のはなし。

 

シンプルだけどそれが最高に美味しい。

  

シンプルだけど最高に美味しい物。人によっては違うと思いますけど、どんなものがあるでしょうか?

 

誰もが好きで飽きが来なくて元気が出る食べ物って沢山ありますが、その中でも今回は一番シンプルだと思う『おにぎり』について書いていきたいと思います。

 

この『おにぎり』私が子供の頃と比べても、ありとあらゆる種類のおにぎりが売られていますし次から次へと新しいものが生まれています。その勢いは海外でも広がっています。

 

そんな『おにぎり』ですが、みなさんは何の具材がお好きでしょうか?

 

鮭?明太子?シーチキンマヨ?

 

高菜?カルビ?梅?昆布?

 

炒飯?赤飯?

 

毎回迷われる方、私はこれ!って決めてる方、色々いらっしゃると思います。沢山ありすぎて選ぶ方も作る方も大変なおにぎり。

 

私は何を選ぶかと言いますと、、、。

 

梅か塩おにぎりです。

 

他の具材のおにぎりも捨てがたいのですが、やっぱり基本的なものに戻ってしまって結局これになってしまいます。まあ、お店にもたくさんの種類のごはん、具材、のおにぎりがあるんですけれど、

 

でも、やっぱり一番大好きなおにぎりは、

 

誰かが握ってくれたおにぎりじゃないかなって思います。

 

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人が握ってくれたおにぎり。何でこんなにも美味しいのでしょう。

 

それはその中に愛情を感じるからじゃないのかなって思います。私が子供の頃、なかなかご飯を食べない時は母が決まってこの『おにぎり』を作ってくれました。

 

嬉しかったですね。母が握ってくれたおにぎり。美味しかったですね。

 

ふんわりふかふかで塩加減もちょうどいいおにぎりでした。

 

わざとご飯を食べなくしておにぎりを作ってもらうってこともやっていたような気がします。

 

この、自分の為にやってくれてるって言うのも嬉しかったんだと思います。

 

でも、今は昔と少し事情が違うんだなって言う事がありました。

 

以前、私が仕事でお客様のお宅をお伺いしたときに幼い子供さんが中々ご飯を食べてくれないという話をされたました。その対処としてお母さんは、ふりかけをかけて食べさせてるという話を聞きました。

 

ふりかけか、、、。

 

なんか寂しい気がしました。確かにふりかけも美味しいのでしょうけど。

 

それから数か月後にそのお客様のところにお伺いすると今度は、色んなふりかけに子供さんが飽きてしまって大変だという話を聞きました。

 

私は味じゃなくて、食事やごはんという概念が子供にはまだないから、子供にとってご飯の時間が嫌なのかなっていうのを我が子を見てて思っていたので、もっと楽しく遊びの延長でも良いので家族で楽しめるようにしてみたらどうですかという事で、

 

『ふりかけを止めて一度おにぎりにしてみませんか?』

 

とお母さんに提案しました。

人間は元々お猿さんな訳ですからその手から多くの情報を得て脳の活性化と発達を促進しているというのをどっかで読んだことがありました。特に幼い子供にとってこの握るっていう事は凄く重要なんだなっていう事も知っていたので、握って食べる食べ物という事で『おにぎり』と言ったわけです。

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それから、数か月後にそのお宅にお伺いしたら、目の前でその幼い子供がおにぎりを両手に持って美味しそうに頬張って食べていました。

 

嬉しかったですね。

 

手に持ってものを食べる。一見、はしたないと大人は思ってしまうかもしれませんが、幼い子供にとっては関係のない話。手に取って目の前にあるものをかじってみる。

それが食べ物って分かるからモグモグ食べる。美味しそうに。

 

ひょっとしたら、そのモグモグの間に握ってくれた人の愛情や思いも一緒に噛み締めているのかなとも思いますね。

 

だから、誰かが握ってくれたおにぎりは美味しいのかな。

 

うちの子供もそうでしたし、今でもご飯食べないとか言ってても、おにぎりにしたら食べます。←ちょっとイラっとしますけど。

 

朝忙しいから子供のごはんには、ふりかけかけてっていう考えもあるでしょうけど、かえって食べるのが遅かったりするのであれば、おにぎり作った方がかえって早くなるのかもしれませんね。

 

 美味しいおにぎりと言えば、その握り心地や塩加減も重要だと思います。

 

いい塩梅(あんばい)という言葉があるように、その塩の加減、握りの加減が食べてくれる人の事やその日の気候などを考えて握られている食べ物。それが『おにぎり』なんだなって思いました。

 

 

まさに おにぎり=愛情の塊なんだと思います。

 

愛は最高の調味料。とも言いますしね。

 

子供の頃、学校から帰って来た時に戸棚の中に置いてあった冷やごはんで母が握ってくれていた『おにぎり』は最高のおやつでした。

 

山登りで食べる『おにぎり』釣りに行ったときに食べる『おにぎり』通勤中に車の中で食べる『おにぎり』受験の時のお夜食の『おにぎり』形も場所もシチュエーションも違いますけど、そこにはいろんな思いが一緒に握られていると思います。

 

『おにぎり』って書いていたら、お腹が空いてきましたね。

 

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私が子供や妻の為に握った愛情の塊を持って今度、ピクニックでも出かけようと思います。

 

最高の塩のおにぎりを持って。

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

簡単スフレパンケーキの作り方

旅行やお出掛け先で今、楽しんでる。遊んでる。充実している。って思えるものの一つがその時に食べる料理ではないでしょうか?!今回はその中でも、ちょっとだけホテルの朝食を食べてるような気分になれる?!

『簡単スフレパンケーキ』の作り方を教えちゃいます。

 

朝食ひとつで気分は変わる?!

 

こんにちは。

 

朝はガッツリ食べたい派のorangelampです。

 

私は、一日の料理の中でも朝食作りって結構色んな事考えます。家族の体調だったり、その日の気候だったり。朝なので刺激が強い物や冷たいものを控えるなども考慮します。

 

ビタミンひとつをとってみても果物のビタミンだけでは刺激が強いと聞いたので野菜と組み合わせてみたりと色々考えます。

 

もちろん彩も。

 

朝から華やかな彩の朝食が食卓に並べば気分も少しだけ、華やかになると思います。

行きたくない仕事や行きたくない学校、やりたくない家事も少しだけ気分的に楽になるかもって思います。

 

そんなわけで今回は彩も鮮やか気分もさわやか、お腹も満足『簡単スフレパンケーキ』の作り方早速始めます。もちろん簡単に。

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『簡単スフレパンケーキ』のレシピ

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・玉子・・・3個 (卵黄と卵白は分ける)

・薄力粉・・・45g

・砂糖(我が家は三温糖ですが。)・・・10g

・マヨネーズ・・・適当

・焼き上げ用のバター少々

 

・型として牛乳パックを切った物 この分量で4個くらい 高さ3cmくらい

    ※この型からパンケーキを取り出しやすいように内側の側面にバーターを塗る

 

準備編

お菓子作りやパン作りが苦手な私。

 

その理由は分量を量ったりが面倒だから。でも、食べたいものがある。だから仕方なく作ります。今回の『スフレパンケーキ』もそんな理由からこんなレシピが出来ました。まずは、準備編。

キチンと分量を量ってる方たちには申し訳ないと思うほどの大雑把な準備です。

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うちにもあるにはあるんですよ年代物のばねばかりが。でも使う事はごくごくまれ、その理由がこちら。

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結構いい加減。

普通のスプーンでこの位の分量。で約15g。だからこれを3回。

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ばねばかりの分量は50gを指してますが気にしない。

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気持ち少なめのところに線をマジックで書きました。これで今度からはここまで入れれば45gの目安となるので効率良し。

 

こんな感じで自分なりに簡単にして面倒な事を省きます。もちろん、しっかりと分量測らないと上手く出来上がらないものもありますが今回の『簡単スフレパンケーキ』

はこれぐらいでも十分できます。

では、実際に調理していきます。

調理編

手順①

薄力粉と砂糖を混ぜる。

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手順②

①に卵黄とマヨネーズを入れる

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手順③

②を木べらやゴムべらで混ぜます。※泡立て器で混ぜるとマヨネーズの粘度が高いために泡立て器の中に溜まってしまって大変な事になります。

卵白はしっかりと泡立ててメレンゲにします。

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手順④

卵黄の方は全体が馴染む程度。

卵白の方は逆さにしても落ちない程度。←落ちても責任はとれません。

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手順⑤

手順④で出来たものをヘラでさっくりと混ぜます。

※混ぜすぎると膨らまなくなるので注意。

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手順⑥焼き上げ

平らな鍋やホットプレートを温めておいてバターを塗る。そこに牛乳パックの型を置く。⑤で混ぜ合わせたものをお玉などで牛乳パックの方の中に入れる。

だいたい片面1分~1分30秒くらいで焼けるので片面焼けたらひっくり返す。

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出来上がり。

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仕上げに粉砂糖やメイプルシロップなどをかけて出来上がり。

 

マヨネーズを入れることでコクが増し、型を使う事でねたの垂れや形が不揃いになることも防げます。

 

是非、試してみてください。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

『私のパワースポット』

日本にも世界にもパワースポットと言われる所は沢山あります。

でも、私は正直そのような所にあまり興味がありませんでした。

ただ一か所だけ私にとってのパワースポットと言える場所があります。

今回はそこに、少しだけ一人旅をして来ました。

 

退院中に行こうと思ってたあの場所へ。

 

『悪性リンパ腫』の辛い抗がん剤治療が1クール(約2週間ちょい)終わると1週間ほど退院をすることが出ます。

でも、この一週間は本当にあっという間の時間です。学生の夏休みがあっという間に終わるのと一緒で何かを決めておかないと何もできないまま、次の入院生活が始まってしまいます。

 

と、いう事で今日は『私のパワースポット』に行ってきました。

 

目的地は、私の入院先の病院の窓から見える、この『金峰山』と言う山(赤丸を付けた山)の向こうの山です。熊本駅から車で20分位の場所にあります。

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先ずは大事な靴選び。今日は結構な距離を歩くし、足元も悪い場所なのでブーツで行くことにしました。

 

⇩もう20年位はいているティンバーランドのブーツで出発です。 

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では『Let's go!』

 

 

こうやって目的地を決めてドライブに行くのも久しぶりですし、好きな音楽を聴きながら車の運転をするのも本当に久しぶりです。

途中でコーヒーを買ったり、景色を観たり。出発開始から気分はノリノリでした。

まるで、久しぶりに恋人に会うかの様に、、、。居ませんけどね。←当たり前か💦

 

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車で15分位走ると目的地の入り口の目印となる『本妙寺』というお寺が見えます。

豊臣秀吉の家臣の中でも特に豪傑な七本槍と言われるな武将の一人、加藤清正が建立し、眠っている場所です。熊本城を建てたのもこの人です。

 

ここを左に曲がって上って行くと花岡山と言う山へと上って行きます。

ここからはしばらく森の中を走り抜けるワインディングロードが続きます。

www.youtube.com

緑の木のアーチの中を好きな音楽聴きながらコーヒー飲みながら走るのは本当に気持ち良かったですね。 

 

 そのワインディングロードを抜けると標識が目に入ります。

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その標識に書いてある『霊厳洞』が今回の目的地です。ここから、5km先の距離にあるようですね。

 

『霊厳洞』とは、あの剣豪 宮本武蔵が当時の熊本藩の細川家に客人として招き入れられた時に『五輪書』という兵法の書を執筆したと言う場所です。

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↑’’ジャパーニーズサムライ’’としても海外でも人気のある宮本武蔵。

好きな人も多いはずです。

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先ほどの標識からしばらく行くとこの標識があります。この標識にある直進方向の河内(かわち)方面へ向かって行きます。しばらく下り坂を下りていく事になります。

 

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しばらく下ると目に入るのはここです。

『優峰園』(ゆうほうえん)と言うお店?!です。

どういうお店かと言いますと自家栽培、自家飼育の食材を使ったレストランと果樹園の総合商社みたいなところです。

 

ここで採れた果物はもちろん、ここで育った鶏や鱒をその場で焼いて食べることが出来ます。でも、私のお勧めは何と言っても『自家製のオムライス』です。

自家製の濃厚なデミグラスソースと、ここで育った鶏とその卵で作ったオムライスは絶品です。デザートには、ここで採れた梨を使った蜜で作るプリンなんかいかがでしょう。普通のプリンのカラメルソースと違ったフルーティなソースがとても美味しいです。

 

季節に合わせた果物狩りもおススメですよ。熊本の人なら学校の社会科見学旅行などで来たことある方、多いかもしれませんね。

大好きな所なのでリンク貼っておきますね。 

 

その優峰園さんを過ぎてしばらく行くと、いよいよ左手に霊厳洞がある岩戸の里公園の入り口が見えてきます。霊厳洞はこの公園の一角にあります。

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先ほどの案内を左に曲がりしばらく急な坂道を上って行くと岩戸の里公園の駐車場に到着です。

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ここで情報をひとつ。

トイレは中にもあるのですがここで済ませておくことをお勧めします。何故かはあえて言いませんが💦

 

駐車場では大きな宮本武蔵の像も出迎えてくれます。

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↑宮本武蔵像ちょっとお顔が、、、。

 

今回の目的地は『霊厳洞』なのですが、ここであえて寄り道をします。

宮本武蔵像の前を横切り左手の方に進むと分岐があります。ここを左に行けば目的地の霊厳洞ですが、ここを右へ行きます。

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右に行くと、、、。

 

 

そこは、、、。

 

 

なんと、、、。

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階段です。

 

今の私の体力と筋力で上れるのか少し不安になりましたが、ここまで来て、引くにも引けないので頑張って上ります。たしか36,7段くらいだったかなぁ。

 

頑張って上った先には、、、。展望所!

 

 

じゃないです。

 

 

こんな感じの場所に出ます。

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何か意味がありそうですが、あんまり興味もなかったので先に行きます。

 

 

先に行くと、、、。

 

 

そこには、、、。

 

 

何と!!!

 

 森の中の空間があります。とっても癒されるポイントでした。

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ここでちょっとしたサプライズが!

 

 

あちらこちらから私の到着を歓迎してくれるかのように、、、。

 

 

 

聴きました?!

 

 

本当に?!

 

 

どうですか?!

 

 

私は感動して少しだけ疲れも吹き飛んだ気がしました。

 

そんなこんなで到着しました。

 

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↑展望所です。

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↑この日はガスがかかっていて前方の有明海もあんまり見えませんでしたが、空気が澄んでいる時は、本当に遠くまで見渡せて、それはそれは気持ちが良いです。とにかく、鳥のさえずりや風が心地よく感じられる場所ですね。

ここまで頑張って上ってきたかいがありました。

 

さあ、ではここから本当の目的地『霊厳洞』に向かいます。

そう来た道を戻ります。歯を食いしばって。べそかきながら。

 

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べそかきながら戻り、さっきの案内板を霊厳洞方面に進むと、紅葉と竹のアーチの道が続きます。しばらく続きます。どこまでも続きます。下りです。

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緑の木々って安らげますね。

紅葉も綺麗でしょうけど、この青々とした紅葉も力強くて綺麗でしたよ。

その緑のトンネルを進むと次の分岐点に到着します。

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正面左手の立て札に小さく岩戸観音とあります。なのでここを右に行きます。

右に行くと、入り口らしきものが。

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↑この右手の建物はおそらくここの住職の家だと思います。ここからも行けるのですが正しい入口は正面下った所にあります。

 

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はい到着!

 

ここが霊厳寺の入り口です。

 

 

霊厳寺?!

 

 

え?!

 

 

て思った方。

 

 

鋭いです。

 

 

目的地の『霊厳洞』はまだまだ先です。

とりあえず入りま~す。

 

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立派な風格の霊厳寺です。正面からの写真は失礼だと思いますので撮ってません。

 

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 熊本は水の都。県内のあちらこちらに『名水百選』と言う湧水があります。

ここで、お参りをしていよいよ、行きます!

いざ、『霊厳洞』へ。

とその前に拝観料の200円お支払いします。

係のお婆ちゃんは動きがとってもスローリーなので温かい気持ちと大きな声で呼んでくださいね。

 

グルグル回るゲートを越えるとそこにはちょっとした宮本武蔵のゆかりの品があります。

 

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うっそうと茂った森の中へ入っていきますよ~。

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こっから先は階段と苔との闘いになります。絶対負けられない!

 

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↑このお地蔵さんの大群は『五百羅漢』と言って沢山のお地蔵さんが奉納されています。熊本の商人の渕田屋儀平さんと言う方が今から約200年前に24年の歳月をかけて奉納されたと言われています。そのお地蔵さんの表情や座る姿はすべて違っていて、必ずひとつは自分に似たお地蔵さんが居ると言われています。

 

小学校の時にここに来たときは、必死に友達と探しましたが今日は止めときます。

ただ、熊本大地震で多くのお地蔵さんが損壊していて悲しくなりました。こんなところにも地震の被害があったかと思うとつくづく嫌になります。

 

お地蔵さんにお参りして、閻魔様にもお参りしたら、いよいよもうすぐです。

↑閻魔様にお賽銭投げ入れたら、一瞬500円玉だったような気がしますが、気にしない、気にしない、あ~、、、。

 

またしても階段です。でも、霊厳洞まであと50mの文字が✨

 

結構急な階段です💦頑張って上ります。必死に手すりを握りながら。

上ると当然の様に下ります💦

もう勘弁してほしいです。駐車場の車からここまでは2kmくらいは歩いているんじゃないでしょうか?!

 

 

ここまで息も絶え絶え、まだかまだかと思って顔をあげると、、、。

 

 

着きました。

 

 

『霊厳洞』です。

↑宮本武蔵の奥義である『二天一流』の由来が書かれています。

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↑この石段を上ると直径10mくらいの洞窟かあり、そこに観音様がいらっしゃいます。

当然、宮本武蔵の時代にはこの石段も無かったと思います。

どうやって上ったんでしょうね?!

 

階段を昇って正面には観音様がいらっしゃいますが写真には収めておりません。

 

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↑洞窟の天井に『霊厳洞』と彫られているらしいです。

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やっとの思いで到着した『霊厳洞』ですが、なぜここに私がこんな体でこんなにも、キツイ思いをしてまでやってきたかと言いますと、前回ここに来たときの私は色々悩んでおりました。約10年前の事です。

 

仕事の事や夫婦の事。将来の事。そして、生まれたばかりの子供の事で。

 

悩んでおりました。

 

こんな私で良いのかと、、、。

 

そんな事を考えながら仕事をしていたので仕事にも身が入らず、営業の成績も今一つでした。

この仕事向いて無いのか。辞めて転職した方が良いのかとも思っておりました。

 

元々、家具を作ったり、クリエイターとして、やっていきたいと思っていた時に急に決めたというか迫られた結婚。当時の彼女(今の妻)の母に。

当然、結婚するつもりでいましたし、その準備はしていましたが自分の夢も追ってみたかった。

 

でも、収入面や将来性の面で企業に就職してと頼まれ決めたその時の仕事。

当然と言えば当然の話です。お金が無けりゃ生活も出来ません。安定性が無ければ親としても不安なのは分かります。

 

私たちの結婚は、きっかけは義母の言葉でしたけど、二人で話し合って決めた結婚です。

 

でも、恥ずかしながら結婚した後も、自分の中で色々と鬱積するものがありました。

 

願わくば自分の夢を追いかけて、それで生計を立てて結婚したかった。

でも、彼女の年齢的にはそれが許されないと言われました。彼女の母親に。

 

そんな日々が数か月続いたときに、いつも行っているお店で手に取って読んだのが

当時、流行っていた井上雄彦さんの漫画『バガボンド』でした。以前もこのブログで私がバスケットを始めるきっかけになった話を書きましたが、その漫画『スラムダンク』を書いた漫画家です。熊本大学に通われていたそうで熊本でもなじみのある漫画家です。

 

色んな物に影響される私は見事に影響されて、宮本武蔵について調べ出しました。

正直この時までは何も知りませんでした。知っていたのは『待たせたな!小次郎。』というセリフくらい。←これも言ったかどうかは定かでは無いらしい。

 

調べているうちに宮本武蔵は、熊本にゆかりのある人なんだと知りました。

 

そして、知ったのが『五輪書』であり、ここ『霊厳洞』の存在でした。

 

急に行ってみたくなって営業の合間に行くことにしました。

 

 

でも、少しだけ何かを見つけることが出来るかなって期待を持って。

 

 

 

でも、来てみたら、、、。

 

 

 

 

ここには何もありませんでした。

 

 

 

私が期待した。目的も夢も希望も。

 

 

 

何もありませんでした。

 

 

 

そこには今回と同じ、洞窟の中に大きな岩があり、観音様がいらっしゃるだけでした。

 

 

 

仕方なく、その時の私は、この場所に座り、宮本武蔵は何を考え、何を思い、何を感じたのか考えようと思いました。

 

 

 

埃被った板の間に座り、ゆっくりと目を閉じました。

 

 

 

静かに息を吐き、、、。姿勢を整えて、、、。

 

 

 

すると、不思議と何も考えられませんでした。

 

 

 

良いことも。悪いことも。悲しいことも。嬉しいことも。

 

 

あれだけ悩んでいた妻、子供、自分の事も。

 

 

 

何も考えられませんでした。

 

 

 

ただただ、聴こえてくる鳥の鳴き声や、虫の羽音、そして風の音。

 

 

 

それが聴こえただけでした。

 

 

 

そのまま、2,3時間はその場にそうしていたと思います。

 

 

 

ただ座って、目を閉じて、、、。

 

 

 

目を開けたとき、少し日が陰っていました。私は静かに立ち上がり、観音様に頭を下げて、その場を去りました。

 

次の日から、何故だか仕事に集中できる様になり、営業成績もみるみる上がり、全国でトップの売上成績を上げることが出来るようになり、昇給も昇進も果たす事が出来ました。

 

でも、この霊厳洞で何かが変わった訳ではありませんでした。

 

 

 

自分の中での迷いが消えただけでした。

 

 

 

 

『今の自分に出来ることをやろう。』

 

 

 

 

そう思ったからでした。

 

誰のせい、誰の為でもなく、自分が出来ることを少しづつ。頑張ろう。それが、10年前の自分が決めたことでした。

 

 

この『霊厳洞』のこの場所で。

 

 

あれから時は過ぎて私の子供もすくすく成長してくれて、家族も仲良く暮らせています。あの時に頑張ったから今があると思っています。

今の気持ちはあの時と同じです。

 

今の自分に出来ることを少しづつやる。

 

それが私が生きる道だと思います。

 

宮本武蔵がこの場所で何を思ったかは今でも分かりませんが、それはもうどうでもいい話です。

 

人は人自分は自分なのですから。

 

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最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

『ソースやタレを買うなんて勿体無い。』ベース編

美味しい料理をもっと楽しむためには欠かせないもの。

それがソースやタレの存在です。退院中の私の楽しみのひとつ。

それが『料理』です。今回はその中でも『ソースやタレ』をテーマに書いていきたいと思います。

 

  あくまで主役は素材の味。

 

ひとえにソースやタレと言っても沢山あります。その数は無限と言ってもいいんじゃないでしょうか。この世にあるすべての人の好みは違うでしょうし、家庭、国によっても色々なソースがあると思います。食べる料理によってもかけるソースの好みは違いますよね。

 

例えば、玉子焼きには何をかけますか?!

ここでは、私はかけない!は無しですよ(笑)

私は醤油です。スクランブルエッグにはトマトケチャップ。目玉焼きにはウスターソース。とんかつにはウスターソース。コロッケにはオーロラソースです。

面白いでしょ。似たような卵料理、揚げ物なのに違うんですよね。

 

これが天ぷらになると半分は塩で半分は天つゆになり、ステーキなんかも半分は塩コショウで半分はステーキのソースで食べます。

この様にこだわりが出来ればできるほど多種多様、好み次第なのでソース、タレの趣向も無限にあると思うんです。

 

全部醤油。

 

全部塩。

 

って方も勿論いらっしゃるでしょう。

 

蕎麦を食べる時は、

 

『塩!』

 

って言って他の人にも強要しようとする上司も昔いました。パソコン使えないくせにって思ってました。←中傷じゃないですよ。その時の私の個人的なその上司に対する意見です。

 

趣向や性格、素材や風味などなど・・・面白いですね。

 

私はソース作りが大好きです。今晩の料理は何作ろうと考えている時も、その料理には何をかけよう?!何がいいかなぁ?!何が旬かなぁ?!季節感はあった方が良いなぁ?!最近、重たいものばかり食べてるから、さっぱりとしたソースにしよう!とか明日はみんな休みだから、にんにくを効かせたスパイシーなものでスタミナを回復させようとか考えるとワクワクしてきます。

 

いつもこんな調子だから同じ料理でも毎回ソースが変わったり、同じ料理の為に数種類のソースを作ったりもします。

 

なんで私がソース作りにハマって行ったかと言うと・・・

 

お金がもったいないから。と

いつも使っているソースが無かったからその代用品を作ったらそれが不味かった。

 

このふたつが大きなきっかけです。『ソース』や『タレ』って高いですよね!とても高い。高校生の頃にアルバイトしていたスーパーマーケットの店長がよく言ってました。

『スーパーマーケットの売り上げの大半は調味料で成り立ってる。』と、これが本当の事がどうかは分かりませんが少なくともベースになっているのは間違いないでしょう。

過去にはスパイスを求めて戦争が起こったり、大きな事件が起こったりしたくらいですからソースやタレも調味料とすればそうなんでしょう。実際値段も高いですし。

マヨネーズやケチャップを安売りすれば、客足が伸びるとも仰ってましたね。

 

料理にソースをかける。→美味しい。→ソースが無くなる→ソースを買う。

 

これが一般的なんでしょうが結構お高いですよね←しつこい(笑)これがひとつのきっかけ。

 

もうひとつは、パスタ食べたいと思った時にソースが無かったんですよ。ミートソースとかナポリタンの簡易パックの湯煎するだけですぐ食べれるあれです。

だから仕方なく作ったんですよ。20年以上前の話です。一人暮らしでお金も知識も無かったんですが、暇な時間とグーグー言っているお腹は持ち合わせていましたので作ってみました。冷蔵庫にある野菜の残り物とケチャップとウスターソースなどで。

 

結果、あんまり美味しくありませんでした。

 

自分が思ってた味とは違いましたし、理想の味とは程遠い味でした。でも、食べないともったいないし、使った食材にも勿体ないので食べました。これが切っ掛けで次は上手くいくと良いなぁの繰り返しで段々と上達して理想の味になっていきました。

 

ここで学んだのは『ソースやタレ』作りは足し算。素材の味や風味を生かせば掛け算にもなる!でした。

 

茹でたパスタにケチャップをかけただけ。上で書いた最初のソースはこの程度でした。

美味しい訳がないですよね。そこで今度はタマネギやベーコンを先に炒めて茹でたパスタをそこに入れる。そして、火が通ったらそこにケチャップを入れて、少し焦げ目がつくまで炒めたら少しだけ、お砂糖とウスターソースをかける。

 

すると、これが美味しかった。

 

玉ねぎの甘みやベーコンの塩加減、そして少し焦げたケチャップの風味とウスターソースのコク。これが本当に美味しかった。

 

そして、もう一つ。懐かしいと思いました。

 

私が試行錯誤を繰り返して作ったこのナポリタン。母の味でした。部活で遅くなった時とか、土曜日のお昼ご飯とか急にお腹が空いて『何か無い?!』って訊いて出て来た料理がこのナポリタンでした。

その後の帰省の時に母に訊いたら作り方、あってました✨嬉しかったですね。

この事が切っ掛けで母の料理を自分で作って実家に帰った時に答え合わせをするという事もソース作りに拍車がかかったのかもしれません。

 

上にも書きましたがソースやタレ作りで大事なことは、素材の味や風味をうまく生かし料理を引き立てる。だと私は思います。

 

なので今回はその食材を活かす風味を活かす。ソースづくりのベースの話を書いていきます。

 

ベース・・・。土台です。そのままです。

 

私のソースづくりの土台は主に『オイル』です。ソースを作る前にまず、オイルを作ります。

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イタリア料理だと、ペペロンチーノ作る時のニンニクと唐辛子で作るオイルだったり、オリーブオイルでアサリを炒めて、アサリから出る旨味で作るボンゴレ。捨てるはずのエビの殻や魚の骨などを油で炒めて風味や旨味を活かすペスカトーレなど。

↑ペペロンチーノ(子供がいる時に唐辛子は使えません。)

 

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↑べスカトーレ 

 

和食でも椎茸や鰹節を使った出汁を作りますよね。それと同じだと思います。

 

そのベースのオイルを使えば、あとはケチャップや醤油、塩コショウを加えるだけで簡単にソースが出来て、色んな料理が出来ます。

 

ペペロンチーノは、これに茹でたパスタを入れて、塩、コンソメを加えてパスタのゆで汁を少し加えて油とゆで汁を乳化させれば出来上がりますし、ボンゴレもほぼ同じで違うのはお酒を使って臭みを消すぐらい。

ペスカトーレは、オリーブオイルに魚介の殻とニンニク入れてそこに切ったトマトやホールトマトを入れて、塩コショウで味を調えてそこに茹でたパスタを入れるだけ。

 

どれも簡単にできます。パスタを同時に茹でれば、15分もあればできるでしょう。

 

和食、中華、洋食も主にはこの素材を活かしたベースづくりでほとんどのソースづくりが出来ると思います。

 

では、今回の最後にこの素材の旨味を活かした、お肉料理にぴったりの肉汁を使ったベースのソースの作り方を紹介してみたいと思います。

  

『Gravy Source』グレイビーソースの作り方(Gravy=肉汁

 

 ・その時に使う肉🍖何でもいいです。

・油     30~50㏄位  (オリーブでもサラダでも、なんでもいいです)

・ニンニク  1~2欠片をスライス

・塩コショウ 適量

・薄口の醤油 大さじ2

・酒     大さじ1 みりんがない場合は大さじ2

・みりん   大さじ1

 

↑これがベースです。

 

作り方

 

①鍋をコンロに乗せて火加減は中火にする。

②油を鍋にしき広げそこにニンニクを入れ、ガーリックオイルを作る。そこに肉を入れる。肉の片面が焼けたら、肉をひっくり返し塩コショウをかける。ニンニクは焦げる前に取り出します。お肉が両面焼けたらお肉を鍋から取り出す。

③火加減を弱火にする。

④②で出来た肉汁オイルに薄口の醤油、酒、みりんを加えて、酒のアルコールをとばす。

 

できあがりです。

 

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↑生姜焼きと牛肉のステーキ

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↑豚のスペアリブ(バーベキューソース)

 

これがベースになるので、ここにすりおろした生姜とお砂糖入れれば生姜焼きのソース、刻んだ玉ねぎを入れればオニオンソース、ケチャップとウスターソースとお砂糖を入れればバーベキューソース、胡麻ドレッシングを入れれば胡麻ソース、紫蘇を入れればさっぱりとしたソース。どんなソースにも化けます。

色んな物を入れて色んなソースを作ってみましょう!!!

 

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↑アクアパッツァ

 

もちろん、魚介でも一緒です。ベースは食材の旨味や風味を活かすことなので魚介の殻や骨を炒めたり、煮たりした時の出汁でソースは作れます。ものによっては臭みが出るので湯煎や熱湯かけたり、お酒を多く使ったり、香草使ったりは必要になるものもありますが。

 

今回はソースやタレのベースの話や作り方を書いてみました。ここにあるのは本当にベースの話なんですが、これが基本でとても重要な事だと思います。

 

ここまで書いた事、ご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうがTwitterで見る写真を今度からどんなベースでどんなソースを作っているのだろうと思いながら見てると飛躍的にお料理の腕が上達するかもしれません!←私は皆さんの料理を見せてもらいながら、いつもニヤニヤしながら思っています。

 

次回はこのベースを使って、それぞれの料理に合ったソース作り編を書いていきたいと思います。お楽しみに。

 

あと、、、。最後にお願いですが、、、料理を作って食べる人の前に出したときに、いきなりウスターソースや醤油をドバドバと掛けられると作った人はきっとゲンナリしますので要注意ですよ!

まずは、一口食べてから、かけましょう(苦笑)

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私を作ったもの。』昭和のアニメ編

人は生きていくにつれ、その価値観、人生観、思想、宗教観などは、どんどん変化していく生き物。そのきっかけも様々で学生生活だったり、恋愛だったり、好きな漫画、映画、小説、病気になったり、大きなトラブルだったり。その中でも今回は私がどういう『アニメ』に影響されてきたかをご紹介します。

 

昭和生まれ、昭和育ち。

 

以前のブログでも紹介しましたが私は昭和の生まれでございます。

現在の年号は平成。しかも29年です。あの時、生まれた赤ちゃんがもうすぐ、オッサン、オバサンの仲間入りです。おめでとうございます。これを受け入れる事が出来れば後が楽です(苦笑い)

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↑小学校低学年の時に本気でやっていた修行。

 

平成の世の中と昭和後半の時代何が違うかと考えました・・・。

 

それは情報が違うのかなぁって思います。

 

私が子供の頃つまり、昭和の後半は情報量が少なかった。それはなぜか!?インターネットの発展と普及がまだなかったからです。

あるにはありましたよ。電話の受話器を機器に取り付けてやるやつ。すんげー時間かかりし、情報量もめっちゃ少ない(笑)今では自分の知りたい情報や知識も簡単に手に入ります。パソコンやスマホで検索するだけですもん。簡単簡単です。その手に入った情報が正しいか間違っているのかは別として。

 

昭和の時代と平成の時代はこの情報の入ってくるスピードと量が全然違うのです。

 

私が子供の頃の情報の発生源としたらテレビもしくは、ラジオもしくは、本でした。

そこで紹介されるアニメ、ドラマ、歌、おもちゃ、ゲーム、映画などでワクワクしておりました。楽しかったですね。今思えば、情報量が少ないのでその情報をいかに正しく、面白く会得できるかで、あっという間に学校で人気者になれるんですから。

 

今の時代だったら情報量が多いので趣味も多いでしょ。だから、苦労して身に着けたモノマネも『しらない。』の一言で片付けられるんじゃないかと思います。

それだけじゃなく『それのどこが面白いの?』なんて言われます。、、、。泣けてきますね。

私が子供の頃はピンクレディやザ・ドリフターズ、ひょうきん族なんかが流行っていたのでピンクレディが学校のそこら中に居ましたし、体育の時間には中本工事が沢山いました。

授業に休み時間も『志村後ろ!』って言われながら名字が志村でもないのにいきなり後頭部を叩かれました。←分かんない人は40代以上の人に訊いてみましょう!

 

だから、私の子供の頃は人気者になりたい!ちやほやされたい一心でテレビや雑誌のタレントさんや芸人さん、歌手を一生懸命真似しました。

その結果、今でも当時のアニメの歌が歌えたり、歌手のモノマネが出来たり、アニメのキャラクターの絵が描けます。すごいですよね。昭和の影響力って。

最近はもに忘れも多くて、、、。それは昭和じゃなくて最近年を取って記憶力の媒体に陰りが見えて来てるのかもしれませんが。

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そのお陰かガンダムなんて5分で描けます。時間かければ上手くも描けますよ。きっと。

 

当時好きなアニメはダントツで『機動戦士ガンダム』です。放送開始直後はそんなに人気もなかったような気がしますが夏休みの再放送(熊本県では夏休みに子供の為のアニメの再放送が当時はありました。)から人気に火が付いたような気がします。

ガンダムの絵をかいたり、プラモデルを買ってもらって必死になって作りました。

家族中にプラモデルを作る時の接着剤が臭いとの非難を受けながら。

 

『機動戦士ガンダム』の前にも、悪い奴らが居てそれを正義の味方がやっつけるという構図のアニメは沢山ありました。『化学忍者ガッチャマン』や『ザンボットスリー』なんかも好きでしたが『機動戦士ガンダム』が始まってからは、その魅力にドップリでした。この『機動戦士ガンダム』が他のロボットアニメと何が違ったのか?!

 

それまでのロボット戦争物は基本的に悪い敵に地球が侵略されて地球を守る組織がロボット作って対抗するっていうものがほとんどだったんです。その戦いも悪い奴が攻めてきて、地球の人々が被害をこうむって、そこに正義の味方が現れて悪い奴をぶっ飛ばす!

そして、ハッピーエンドってのが普通でした。

そこからちょっとずつロボット戦争アニメも変わって行って、物語の終盤に正義の味方の基地が敵に壊滅されるとか、それまで死ななかった正義の味方の仲間が死んでしまったり、敵も味方も居なくなりました~。ってのがあったりと少しずつロボット戦争アニメも変わってきていたんです。

 

で、そんな時に始まったのが、この『機動戦士ガンダム』でした。第一話の内容は、、、敵が攻めてきて民間人が死んでいく、、、。当時、小学生だった私は思いましたよ。

ハイハイこのパターンねって。ごくごく普通の言葉悪いですが在り来たりだと。

 

でも、そこからが違うんですよ!

もう、35年も前のアニメなので今更ネタバレも無いと思うのですが、いつものパターンならここで特別な訓練を受けた、どこかのエリートが現れてめちゃめちゃ強いロボットで敵を倒すんでしょうけど、ここで登場するのはエリートでも何でもない、イジケ虫のアムロ・レイ少年15歳なんですよ。中3ですよ。中学3年生。しかも身長168㎝です。

 

今の私とほぼ一緒です。←関係ないですけど。どうせ高1から伸びてませんよ。きっと高1から始めたボクシングのせいです。

 

一般人も一般人。ド、一般人の天然パーマの。←悪意はありません。大好きですよ。アムロ・レイ。その少年が偶然に見つけたガンダム(劇中はMSモビルスーツと呼ばれます。)に乗るんですよ。エリートも出てこない。しかも、そのガンダムに乗って言ったセリフが『こいつ動くぞ!』です。不安でしょ(笑)それまでの正義の味方は特別な訓練を受けているので間違ってもそんなこと言いません。でも、アムロは言っちゃうんですよ。だって、民間人だもの。(笑)

 

この頃から天邪鬼の私は、完全に虜です。今までとは違うってだけで。それからは、ランドセルに傘をさしてはビームサーベルと言い。歩く時にはディギンディギンディギンってガンダムの歩行音の前をして歩いていました。家に帰ってもガンダムの絵を描いて、ガンダムの放送がある日は急いで帰って、新しい登場人物の名前や新しいモビルスーツの名前や形を書くためのノートを準備していつも真剣に見ていました。

 

今ではネットで検索すれば画像も出ますし、録画もできますが当時はそんなものありません。頼れるものは自分の記憶とそのノートだけでした。だから必死です。でも、私の実家は商売していましたので電話で、その時間を邪魔されたり、祖父の無言でテレビのチャンネル変える攻撃もし烈でした。←当時私はこれで祖父の事嫌いでした。

 

この『機動戦士ガンダム』との出会いで私の人生観と言うか、ものの考え方が変わったと言っても過言ではありません。それまでのいわゆるロボットアニメは悪い奴を倒したらハッピーエンドだったんですがこの『機動戦士ガンダム』を見てからは、この世の中に絶対正義というものは無いという事や戦争は悲惨なもの、子供だから許されるってことは無いんだなっていう事を学びました。

 

その考え方は今も変わっていません。自分が過ちを起こしたら、その報いを受けるという事も全ての行いが報われるとは限らないという事もそうです。

 

それ以外よく観ていたアニメは『じゃりン子チエ』や、変わったところでは『パタリロ!』ですね。

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↑バンコランファンには申し訳ありませんが、あんまり描いて無いのでこうなります。

 

『パタリロ!』では、その主人公のパタリロ・ド・マリネール8世の強烈なインパクトと当時同じく流行っていた『ベルサイユのばら』をほうふつとさせるイギリスMI6の諜報部員のジャック・バルバロッサ・バンコランとその恋人のマライヒたちが織り成す強烈なギャグマンガのアニメでした。私は女の子3人男の子1の中で育ったので往々にして女の子の漫画やアニメを見る環境にありました。←姉たちが観るなら強制的に。

だから、この『パタリロ!』も姉の影響下の元、観てたような気がします。

 

このパタリロ!。はっきり言って前衛的な内容のアニメでして今はおそらく規制がかかるような内容盛りだくさんです。パタリロのその衣装もナチスドイツを連想させる制服だと思いますし、バンコランとその恋人マライヒは共に男です。つまり、BL(boyslove)何ですよ。この当時に。しかも私は小学生です。

もう毎回、毎回、目を覆うような場面の連続です。でも、そのパタリロの理不尽さや劇中に出て来るパタリロの親衛隊のタマネギ部隊のその実直さや、時にはその怖いもの知らずの行動に笑いと救いを学びました。

 

次に紹介するのは『じゃりン子チエ』です。

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 ↑女の中で育った私は、チエちゃんの明るさと強さと時折見せる、か弱さに憧れたのでした。

 

『じゃりン子チエ』は大阪の西成を舞台としたコメディタッチのアニメでした。このじゃりン子チエ。はっきり言って、下品で強烈で下世話な話のオンパレードです。でも、大好きなアニメです。私が好きなどの作品もそうですが、このじゃりン子チエの登場人物は、とにかく濃い。この一言につきます。

主人公の竹本チエちゃん。小学校5年生です。足元はいつも下駄です。小学校5年生でホルモン屋を営んでます。チエちゃんのオトンのテツはそっち系の方も恐れる怖い人です。

ちなみに声は西川のりおさんがやってました。このテツがチエちゃんに好かれるために色々やるんですが全てが裏目に出たり。

私にも娘がいますが年齢的にはそんなに変わらない年齢差かと思いますから今見るとテツ頑張れってなりますね。

 

この『じゃりン子チエ』から学んだことは、ひたむきに生きるって事と人情と家族愛ですね。とにかく泣けるエピソードが沢山あります。今でも見て当時の同級生と登場人物を重ねたり、ヒラメちゃんのずけずけ物を言う態度や、まさるのチエちゃんに対する接し方が当時の私とダブってキュンキュンします。

 

あと、猫好きの方には一度は見て欲しい作品ですね。ここに出て来る木枯し紋次郎こと、小鉄やアントニオ(Jr)という猫達の織り成す世界は猫界と人間界のそれぞれの情景とその狭間を垣間見ることが出来ます。

 

どの話も強烈で差別的な言葉だったり、違法性のある表現などが出てきたりしたので今の厳しい基準では放送が難しかったり、規制がされるかもしれませんけれどぜひ観ていただきたい作品です。

 

今回は『機動戦士ガンダム』『パタリロ!』『じゃりン子チエ』を紹介しましたがどれも本当に人間味のある作品です。パタリロはちょっと違うかも(笑)興味ある方はぜひぜひ見て欲しいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

『チェリーパイ』はどんな味?

今回は病気の事も入院生活の事も忘れて番外編として『食』をテーマにお届けしたいと思います。今回の食材というか料理は『チェリーパイ』果たしてどんなエピソードでしょうか?!なんちゃって。

 

濃紫のお高いアイツ。

 

食べ物と言えば作るのも食べるのも好きな私。このblogやtwitterでも食べ物のエピソードをいくつか紹介してきました。今回の食のエピソードは『チェリーパイ』です。

『チェリーパイ』と言っても色々ありますが私が好きなチェリーパイは、

 

濃紫の『ブラックチェリーパイ』です。

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何が違うかと言われれば色が違うと言えば怒られそうですが、その色の通りに味に深みがあります。かといって他の果実の様なしつこさが無いのも好きなとこです。

しつこいものは嫌われます。

 

この『チェリーパイ』と私の出会いは小学5年生の時でした。

その時に食べて以来、この『チェリーパイ』は私の

 

My favorite Suites.

 

になりました。あれから30年以上、、、。今でもこの『ブラックチェリーパイ』を食べる時には必ず思い出します。あの時の事を。

 

あの日は今日以上に暑かった。

私が小学校5年生の夏休み。法事か何かで遠方からの親戚が我が家に集まった。

その親戚たちと熊本の観光でもしようという事になり、親戚たちと一緒に色んな所に行きました。

 

熊本城、博物館、プラネタリウム・・・。

「熊本城」の画像検索結果

wikipediaより

 

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水前寺公園 水前寺成趣園HPより

熊本市内の観光スポットを散策した後に、水前寺公園の傍でご飯を食べました。

 

色んな場所に行き、色んなものを買ってもらい、その上、近くのサーティワンアイスでアイスまで買ってもらった私はご満悦でした。でも、どこか落ち着かない私、、、。

 

それはなぜか?!

 

その多くの親戚の中に私よりも2つ年上の女の子が居ました。

 

名前はSusan.

 

そうです。その女の子はブロンドヘアーのアメリカ人でした。初めて彼女を見たときもこの時も、私は恥ずかしくって彼女を直視できませんでした。

私が見てるとたまに目が合いお互い恥ずかしくなって親の陰に隠れるという事が何度も続きました。アイスを食べ終わった時に、そろそろ帰ろうという事で帰りにケーキ屋で買ってもらったのが今回の主役である

『チェリーパイ』でした。

選んだのがSusanのお母さんだったのでチェリーパイになったんですが選んだのが私の母ならば今回のエピソードは『モンブラン』になっていたと思います。しかもきっと渋皮付きの。

 

家に帰り夕飯を食べて、バタバタとした一日が過ぎてみんながくつろいでる時にSusanのお母さんが言いました。

 

『さっき買ったパイをみんなで食べよう。』

 

姉達は大喜びでしたが私は困惑です。だって、食べたことないのに喜べないそんな感情でした。臆病で甘えん坊な私の気持ちを裏腹に切り分けられて私の前に並べられるチェリーパイのお皿。

 

『いっただきまーす』私以外の子供たちは大声で食べます。

※この時、女4男私1です。

 

私は恐る恐る眺めてはいるものの食べることは中々出来ませんでした。

手に持っては皿を置き、手に持って眺めては皿を置き。そして母親の方を見る。

でも、母親たちは楽しそうに談笑していてこっちを見もしませんでした。

 

今思うとなんで食べなかったのかなぁって思うんですがこの時は何故か中々食べれなかったという記憶があります。

 

私がどんな味がするんだろう?!甘いのかな?!すっぱいのかな?!って考えてるうちに姉やSusan達が美味しいと大騒ぎしだしました。

私はこの歓喜の渦に遅れるまいと勇気を出して食べようとした時です。

 

『パクっ!!!』

 

 

!!!!!

 

ぢううjkf;ぇこk・・・!!!

 

その時私の横に座っていたSusanが私のチェリーパイを一口食べてしましました。

 

『わたしこれすき!』

 

その青い瞳と片言の日本語で私のチェリーパイをモグモグしながら。

私はびっくりして声が出ませんでした。私のチェリーパイが食べられたっていうのもショックでしたがそれよりも私の頭の中で描いていた勝手なSusanの人物像が一瞬で消え去ったからです。

 

それまで勝手にイメージしてたのは金髪で大きな青い瞳のお人形みたいな女の子だったんですが目の前でまだ私のチェリーパイをモグモグしているSusanは金髪でソバカスがある食いしん坊のおてんば娘だったのですから。

 

まあ、この事が切っ掛けでSusanとも打ち解けて、お互いを名前と愛称のスージーと呼ぶようにもなりました。当時、テレビドラマ『オレゴンからの愛』の大ファンでもあった私はその主人公にもなったような感覚で異文化、異国語との交流に大興奮です。

朝早くから夜怒られるまで親や姉たちの目を盗みながら色んな日本の遊びをしたり、ファミコンをしたりして1週間くらい過ごしました。

でも悲しいかな必ずやってきてしまう別れの時。

お互い悲しくてあまり話もせずにお別れしました。その後、アメリカと熊本で文通を何度かしたきりになってしまいました。

 

あれから30年以上、私もスージーも今や立派なオッサンとMiddle agedです。

今思えば、これが私の初恋だったのかなって思います。このblog書くまでは名前とか思い出せなかったんですけど書き出せば出てくる出て来る(笑)色んな記憶が。

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今でも『チェリーパイ』を作る時はいつも思い出します。この前も作っていた時に子供に『パパは何でチェリーパイが好きなの?!』って訊かれて、少し照れながら正直にこのエピソードを話したら『パパにもそんな時あったんだねぇ~』って、ニタニタしながら言われました。

 

その後に『何で好きになったの?!』って訊かれましたが『忘れた』と言って、その時は答えませんでしたけど。

 

ここだけの話、、、。

 

私がスージーに好きになったのは、

 

私のチェリーパイ食べてお母さんに怒られている時に私の方を向きながら見せた

茶目っ気たっぷりのウインクしてくれた時でした。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『感謝。』あなたが産んだから私がいる。

今日は『母の日』です。私の母は69歳と3ヶ月で私たちから旅立ちました。今回はそんな母に感謝を込めて書いていきます。

 

 

『あんまり言えなかった。お母さん、ありがとう。』

 

 

私が生まれたのは昭和40年代。今から40年以上前です。テレビもブラウン管カラーだったかどうかは覚えてません。家族は父と母と姉と私の4人家族。

 

母は専業主婦。たまにパートやってました。その後、父と自営業を営みます。

父は職人。姉は意地悪でした(笑)

姉が私に意地悪になったのは私が両親を独り占めにしたからだと思います。

もちろん、両親は姉の事も愛してたと思いますが理由はあります。

 

母は私が物心つくまでに沢山の悲しい思いをしてきたと思います。私が生まれる一年前に双子の女の子、つまり私の姉二人と産後1週間での相次ぐ死別。

 

そして、一年後に生まれた私は生後11か月で『特発性血小板減少性紫斑病』という病気にかかってしましました。どういう病気かと言いますと血液の病気で血小板という血液を固める成分が極端に減少してしまい体中に青あざが出来たり、もし出血を伴う怪我をしてしまうと血が止まらなったり、鼻血や酷い時は脳内出血などもしてしまう病気です。

 

特定の疾患として指定難病としても認定されてある病気です。

 

私自身には全くこの時の記憶がありませんが同じ親として、この時の両親の心境を考えると言葉が出ません。

発覚したのは夜中おしめの交換の時に私の大事な部分が異常に腫れて化膿していたとのことでした。急いでかかりつけの病院に駆け込んでも、ここでは出来ないと言われ

慌てて大きな総合病院で血液検査をした結果、出された検査結果がこれでした。

 

『今の症状が治ったとしても薬は一生手放せない。』と医師に言われたそうです。

 

だから、私の赤ちゃんの頃の写真の大半はベッドに両手、両足を包帯で括り付けられて抑制されている痛々しいものでした。母は病院で私に付きっきり。父も朝起きたら私の病院に毎朝駆け付けたと言います。まだ、すやすや寝てる姉を起こすのはかわいそうと隣のおばちゃんに姉の面倒を頼み毎朝通ったと聞きました。

 

3、4歳の姉は家で一人。朝、目を覚ますと家に誰もいなく毎朝泣いていたそうです。その泣き声に気付いた隣のおばちゃんが姉の面倒を見てくれるという毎日だったようです。

そりゃあ、私に意地悪になりますよね(;´Д`)かわいそすぎます。ごめんね、姉ちゃん。

この事が理解できたのもずっと、ずっと後です。

今ではお互いが一番の理解者だと思うくらい仲が良いですが。

 

この病気のせいで両親、特に母は常に私のことを心配してました。両親共働きになると、家の中では意地悪な姉と二人。いつも怪我だらけの私。

自分で怪我したものもありますが姉との喧嘩で付いた傷もいっぱいありました。

その度に姉は怒られたと思います。姉という理由だけで。

 

この難病自体は3歳ぐらいに完治して薬も飲まなくてよくなりました。この辺から私の記憶も残ってます。

 

母の印象を一言で言うと、、、。『大雑把。大胆。』かなぁ?!『手際が良い』とも言えますかね。

 

表現としては良い表現では無いですがその大雑把なやり方で何でもこなしてしまうので凄い人だと思います。料理も家事も仕事も段取り良くやってくれていたと思います。

今と違って、何でも揃ってない時代です。

 

夏の定番の麦茶も麦から煮出したり、そうめんのつゆも鰹節からとってた時代です。

この時代を生きた人ならこの、そうめんのつゆと麦茶を間違えて一気飲みした人も多いはず。私もその一人でしたから。

 

父の仕事が波に乗り、独立して従業員や一緒に暮らす親族も増えていきました。

一番多い時は10人家族。猫7匹犬11匹いました。もう、家の中も家の外も賑やかでしたよ。ご飯の時も戦争です。唐揚げも3kgとか揚げてたんじゃないですかね。もう笑ってしまいます。大皿にのせられた唐揚げの奪い合いです。その時の私の序列は年齢的に下から2番目。台の上の大皿にも立ち上がらないと手が届きません。箸の使い方もまだまだ人生の先輩たちには敵いっこありません。

 

でも母はそんな私を見かねてこっそり私のお皿に自分のお皿の唐揚げを分けてくれたり、おかずが魚の時は骨が嫌だった私の為にウインナーを一本だけ焼いてくれました。この一本のウインナーがどれだけ嬉しかったことか。

 

ご飯も1食で1升炊いても足りないって、、、。笑うしかないです。それを母一人で作っていたのですごいですよね。他にも私の体操服のゼッケン縫い付けてくれたり、雑巾を手で縫ってくれたり。

 

小学生の頃、母に『お母さんの趣味って何?!』って訊いたことありました。

運転していた母は私の顔を見ることもなく一言『そんな暇ない。』と言い放ちました。

趣味ないとか可哀想と思いましたが、今思うとそんな暇ねぇ~~~って感じですよね。

 

今の時代の人は、おそらく何かしないといけないとか自分の時間を持ちたいとかに必死になったりすると思うんですよ。私もそうですし。でも、母の時代はこれが普通というか家族の為に必死だったんですよね。学校で何があったの?!とか訊くんじゃなくて、とにかく頑張ってる親の背中を見せる。両親そんな感じでした。

 

当時の子供たちも、その背中や夜中トイレに起きてふすまの隙間から肩をトントン叩きながらはぁ~っとため息つきながら縫物などをしている母の姿を見たのは1度や2度ではないはずです。その度にお母さん、頑張ってくれてるなぁ。明日は早起きするぞぉ~って思いました。←起きれないんですが(笑)

 

子供の時、母が自分より先に寝て後に起きるなんて見たことありませんでした。

 

起きたら、朝ご飯出来ていましたし、学校から帰ると夏はスイカやメロンが切って冷蔵庫に入ってたり、牛乳寒天やフルーツ寒天が入ってたり。冬はストーブで焼かれた焼き芋があったり、ストーブの上でぜんざいが作ってあったり。

 

書いてて感心です。すごいです。母の凄さと自分の不甲斐なさで溜息が出ます。

 

今の時代は便利ですよ。物も買えるし、しかも、いつでも。体操服にゼッケン付けるのもアイロン。学校に持っていく雑巾も100円均一に行けば売ってます。

寒天よりも見た目綺麗なゼリーやアイスがいつでも売ってます。焼き芋や、ぜんざいだって電子レンジやお湯を注げばすぐに食べれます。

 

でも、母が作ってくれたそれとは違うんですよね。100円均一の雑巾なんて使ってみたけどすぐダメになります。私の母の雑巾はクラスで一番もちました。誇らしかったな~あの時の母の雑巾。

ゼッケンも剝げたことなんてないです。毎年、数字を強引に書き換えるだけで何年も使えました。

 

寒天やぜんざいも夏はクラーの無い部屋でも涼しくなり、冬はいつまでもポッカポカでした。

 

今の時代は便利になった分、ものへの愛情や愛情のあり方が変わってしまったなって思います。『物を大事にしない人は人も大事にしない。』私が幼い頃、おもちゃを壊したり、物を失くす度に言われました。ホントそうだなぁって思います。

 

そんな母が一度だけ、寝込んだことがありました。住宅関係の父の仕事で休みなく年末まで働き、年始になっても仕事が終わらずに父は仕事をしていました。

 

母は、私と姉を車に乗せて正月の挨拶に父の親の里の長崎県と大分県に連れて行ってくれました。毎年、お正月とお盆には行っていたので恒例行事なんですが、長崎と大分って九州の西端と東端なんですよね。その真ん中が私が住んでる熊本県。当時はどっちも高速道路なんてありません。片道3時間以上のロングドライブです。

 

年末までの疲れか母は明らかに疲れを見せました。それぞれのお爺ちゃんの家、お婆ちゃんの家に行けば気丈に振舞うのですが道中は度々、車を路肩に止め、私と姉で肩や腰を揉んでいました。そんな母が正月の挨拶も終え家に戻ったとたん倒れました。

 

母はそのまま3日間くらい寝込みました。『ごめんね。ごめんね。』っていいながら。

母の顔を見たくて日中行こうとすると姉から『今行くと起きるから行ったらだめよ!』

と何度も怒られたので夜中に会いに行ったり、濡れタオルをおでこにあてたり、氷枕を変えたりしました。どれもこれも人生初めての経験でした。氷枕のめんどくささと言ったらないですよ。

寝ている母を起こさないように濡れタオル絞るときに洗面器に落ちるしずくの音をたてないようにそぉーっと絞って、びちゃびちゃのまま、おでこに乗せて逆に起こしてしまったり、看病してるはずの私が寝てしまい母の布団を掛けられてたり、失敗の連続でした。

 

おかゆを作ったのも誰かの為に一生懸命料理を作ったのもこの時が初めてでした。

白ご飯を鍋に入れて、水入れて塩入れて。分量なんて適当です。美味しかったかも分かりません。でも、このおかゆを作った時に(おかあさんは、どれくらい入れてるんだろう?!)って興味を持ったのを覚えてます。ここも料理好きになった原点の一つですね。

 

寝ている母の傍におかゆを持っていき『おかゆ作ってきたよ!』とおそらく目をキラキラさせていたと思います。美味しかったかどうかは分かりませんが、

母は『ありがとう。本当に優しい子ね。』って頭を撫でてくれました。

 

この事は私が大人になっても笑いながら話してくれました。

『あの時は本当にありがとうね。』って。それが小学校3,4年位の時でしたから今から30年以上は前の話です。親も子供もそれが当たり前だったような気がします。

 

色んな家庭があったけど私の周りの親は誰もが一生懸命でした。子供も自分たちの事は出来るだけ自分たちでやっていたような気がします。小学校の時の先生にいつも言われていたことが

 

『〇〇は自分の事や叩かれて泣くことは無いけど、お父さんお母さんの話すると泣くよね。それだけ、お父さんお母さんが好きなんだね。』って言われました。成長過程でこんな家、親は嫌だ!!!って思ったこともありましたけど、この家でこの生活で幸せだったなと思います。

 

今は私も親です。子供には言葉で思いを伝えるのも必要だと思いますが、背中や態度で示すことも大切なことだなって思った『母の日』なりました。

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今は私が味を思い出しながら作る母の料理を私の子供が美味しいと言って食べてくれます。

まだまだ、母のそれとは違いますがいつかは父や姉にお母さんの茶碗蒸しだね!って言われるようになりたいですね。

 

 

『お母さん、私を生んで育ててくれてありがとう。私はあなたの子供で良かったと思います。これからもそれを誇りに生きていきます。ありがとうございます。』

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。感謝いたします。